深紅面目その11 「ありがとう、父と母と人たちよ」

 私たちの教会では、先に地上の歩みを終えられたみなさんの写真を常時礼拝堂一室に置いて、

いつでも顔を合わせることができるようにしています。そして私はしばしば写真のみなさんの間に座ります。

お一人お一人を思いこころに浮かぶことは尽きません。

 

 このごろの思いです。

写真には90歳を越えて永眠された方、事故、病気でまだまだ若くして永眠された方がいます。

その生涯時間という器のなかにその方のどういう歩みとあこがれが入っていたかを思うとき、写真の

お一人お一人が生きていた、存在していたということそのものがそれだけで尊いのです。

その方から私が受けていることがらに気付く時に、長命か短命かではない、年齢などが一番目ではない、

その方の私に対する重さに心は感謝と喜びに導かれていくのです。この方もあの方も

私に影響を与え続けていることに気付かされるのです、彼も彼女も私の中で生きているのです。

 

 写真の中に父と母がいます。

私が他の人間との関係を作っていくことに一番深く影響を与えてくれたのは、私が二十歳代の時に

永眠した父、50歳代の時に永眠した母だと感じています。仲の良かった両親に育てられたことによって

私の幼ごころに他の人間に対する開かれた心、信頼する心が自然に形成されていったのだと思います。

これが私の少年期、青年期、そして現在までのそれぞれの時期、人たちとの出会いと交流に結びついて

いったのだと思います。

 そして加えて感じること。それは父と母の日常に垣間見られた親戚縁者、友人らとの交流の様子です。

まだ子どもであった私だから実際はそんなものではなかったのかもしれませんが、少なくとも私には父と母は

人たちと親しい関係を持っており、憎しみあったりさげすみあったりしている人はいなかったように感じます。

(子どもの私にはあえて見せなかったということでも良いです。)このことは私の育った家庭に穏やかさをもたらして

くれたことだろうと思います。

 親戚縁者とよぶ方々の中でもとりわけ私にとって母方の祖母の存在は大きい。この方の葬儀はその名前の

ように、美しいアキ(秋)の空が天に広がった日、広々とした母の実家の庭で行われました。穏やかな祖母が

そのままいるかのような、集まった者たちから笑顔がこぼれおちてくる温かいものでした。

この方からの私たちの家族に寄せられたの親しい愛情を、彼女がお彼岸には必ず作る「おはぎ」のなつかしさとともに

私は忘れることができません。

 こうしたことを思うようになって、私は父と母からだけ、他の人間に接していける心を育ててもらったのではなくて、

父と母が関わりを持っていた人々からも、人間に開かれていく心と信頼する心を作っていただいたのだと気付きます。

 

 父と母とのことを根っこにおいて、その後に出会った方たちから影響を受け育てていただき、そして私のオリジナル、

私にしかないものが生まれて加わって、今の私が書く文章、語る内容と言葉、他の人間への接し方、時間の過ごし方に

なってきたのでしょう。先に地上の歩みを終えられたみなさんの写真の中に座り感謝に満たされます。

ありがとうみなさん、みなさんありがとう。

 

 祈りに導かれます。

私は父と母と多くのみなさんとの出会いと交流からなんと豊かなさいわいを与えていただいたことだろう。

願くはこの私もまた、誰かの生きることに用いられたらどんなに良いだろう、と。

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          母と父とわたし(礼拝堂アデルフォイにて)

 

 

         2017年11月23日   石谷牧師記

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