私の宮島弥山(みせん)での定点観測

 11月3日に宮島弥山(みせん)に登りました。

登りは紅葉谷コースで2時間、下山は大元公園を目指して1時間。

昼食は、駒ヶ林の一枚岩の上で。コロナ感染しない・させないと心がけた楽しい山歩きでした。

 毎年11月3日の弥山登りを―私が大学教育現場に勤務していたころ、学生のみなさんと

切磋琢磨できる職場に異動した20年前に始めた―私は昨年に比べて自分の体力は

どうなっているかをチェックする定点観測としていたのですが、体力チェックにとどまらないものがある

ことに気付きました。

 弥山登りの事前のことでは、今年も登るぞという気力、乗り物の時刻を調べてみなさんに

ご案内するという企画力、安全に登り降りする体力と注意力、予定外のことへの対応力。

これらが、昨年に比してどうなっているか、つまりは元気に自宅を出て無事に帰宅できるか

という「総合力」を実はこれまで試していたのだと気付いたのです。

そして、今年もなんとか大丈夫、でした。

 

 ところでこの「総合力」を私はどのように養っているのだろうかと考えます。

 

 なんの本で読んだかは忘れてしまったのですが、

高齢者の身体と認知機能の低下を「フレイル」というのですが、

評論家の樋口恵子さんが三つ「ショク」を大切にしましょうと書いていました。「食」と「職」と「触」です。

「食」。食べることは生きるちからになりますから、基本中の基本、私たちは日頃から大事にしています。

私の食が大事にされて今があります。誰かのように時々食べ過ぎ飲み過ぎになってはいけないでしょうが、

楽しく栄養あるものを美味しく十分に食べたいですね。

「職」は「仕事」。台所仕事でもお裁縫でもお掃除でも私のような冬の寒い間の窓の結露拭き、山登りでも、

アタマ・脳とからだに適当なストレスがあり、実際の動きがあります。しかもやり遂げた感・達成感がありますね。

組織で働くことはなくなっても、生活者であろうするならば、仕事に尽きることはありません、

感謝です、嬉しいことです。

 「触」。これは誰かとのやりとりです。この点で私は自分がたいへん幸いな者と感じています。

こうしてみなさんに通信を出すこと、主日礼拝でみなさんにお会いすること、ズームを使ってのイエスの譬え話に

ついての語らいで、参加のみなさんから自分とは違った受けとめをお聞きすることなどなど、

だれかとのやりとりによって、私の学ぶことに終りがありません、感情が動きます、そして孤立を感じないでおれます。

(やがて、生かされてきた地上の歩みを、ひとりで終えるという孤独は、養いたいと思っておりますが。)

 

私の弥山登りで感じた「総合力」は、三つ「ショク」に因っていると言っても良いかなと思います。

 

この定点観測の機会を長く続けます。登り降りの両方をこなす体力がなくなったら、

どちらかをロープウェーにしてもいいです。そのあとは両方ともロープウェーになるかな。

この場合は「総合力」のなかの「柔軟力」が発揮されるのです。

 

              2021年11月11日  石谷牧師記

 

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