深紅面目その3 「この世界の片隅に」から

 アニメ映画「この世界の片隅に」は、私たちのような市井の人々が戦争によって

大切な人を失い、喪失の悲しみをそのまま抱いて生きていこうとする姿を描いたもので、

私は小さな子どもが米軍によって投下された爆弾で死ぬところ、やはり幼い女児が

原爆によって母が死んでゆくさまから離れずに泣く場面、主人公が爆弾によって右手を

失い絵筆を持てなくなった自分をじっと見つめる姿などなど、思わず涙を流したことでした。

 戦争によって大切な家族を失う、戦争によって右手を失い絵を描く自分を失う・・・、

大切なものを失った自分をそのままに生きていく人々は、現在も「この世界あちこち」にいる、

どんな口実をつけて行われる戦争も憎み、戦争の火種を消していきたいとの思いで、

この映画のことを「失う」という言葉を使って周りの者に伝えたのでした。

 

 しかし「失う」という表現で良かったのかと、現在では反省しています。

「失う」のではなく、「奪われる」ではないか。「失う」では戦争によって被ったできごとを

「受忍」していくことになるのではないか。「失う」という言葉を使った自分はどこか傍観者であり、

当事者意識が弱い。  確かに市井の人々は積極的あるいは仕方のなかった

沈黙という行為で、戦争遂行への支持者であったのですが、その反省をしつつ、反省をするからこそ、

もう二度と戦争によって国の利益を追求したり守ろうとすることはしない、という気持ちを表すには

「戦争によって失う」ではなく「戦争によって奪われる」という言葉を使って映画の報告をした方が

良かったと思います。

 自分に内にあるものが「失う」という言葉に出てきたのです、またひとつ学びました。

 

        2016年11月25日    石谷牧師記

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