この夏に分かち合いたいこと

 お読みくださるみなさま、いかがお過ごしでしょうか。

私は教会の仲間宛てに『アデルフォイからの風』というニュースレターを出しています。

説教の要旨や集会の予定などをお知らせするものです。それの第51信ができました、

どうぞお読みになってください。

 

                      『アデルフォイからの風』 第51信

 今年の7月の生活はコロナの影響を受けて始まりました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私は1月からこのかた、自分は社会を構成している一人としての生活激変移行期間を過ごして

いると感じています。じょじょにコロナに感染するとどうなるかが分かってきて、

それにともなう隣人・社会に対する私なりの対応を作っている、言ってみればそういうこのごろです。

一方で植物たちの営みは変わりません。アデルフォイの庭には大きなアガパンサスの濃い水色の

花が咲きました。五月に植えたきゅうりとナスとトマトからは実を収穫することができるようになりました。

かたわらに変わらないことを感じるのは嬉しいものです。

 

みなさん、この夏はステイホームとアデルフォイに集まることを組み合わせて生活したいですね。

健康をお祈りします。

≪これからの予定≫

 アデルフォイでは主日礼拝を午前10時半から開いています。

ご自分の考え、事情を第一にして、集うことができるようなら、お集まりください。

けっしてご無理なさいませんように。

 

≪ことしの夏の礼拝説教にてみなさんと分かち合いたいこと≫

【テーマ:私たちは、新しい葡萄酒を入れる新しい革袋のようになりたい、

そして平和を作り出す者でもありたい(マルコ2:21以下)】

 新しい葡萄酒とは現在私たちが体験しているコロナ禍によって生じているすべてです。

すべてといっても私個人が体験していることはわずかなことで、

コロナウイルスとはどういうものか、日本社会において世界においてすでに起きたことと

これから起きることなどなど、いったい全貌はどんなになるのでしょうか。それでも自分が

知るコロナにまつわることを、これまで体験したことのない「新しい葡萄酒」と呼びたい

と思います。そして私たちはこの「新しい葡萄酒」と上手に適切に付き合う生活の姿勢、

生活の考え方をすこしずつ作って、生活上の実践までに具体化させています。

この私たちの在り様が「新しい革袋」です。そしてこの生活上の実践に、現在(いま)ここでの、

私たちの平和を作り出す具体的な実践、行動を加えたていきたいと思います。

[新しいと訳されている二つのギリシャ語の違いから説教します]

 ネオポリス、ネオナチという言葉があります。このネオは時間軸において新しいことを示す際に

使います。新しい葡萄酒という言葉の新しいは、このネオの由来であるネオスです。

一方新しい革袋の新しいは、前に使っていたものをたんに新品にしたというのではなく、

これまでのものとは品質の違う、という意味を持つカイノスという言葉です。考え方を違えて作られた

革袋です。私はこのテキストからイエスの願いを語ります。

[コロナ禍の中、全国各地で老舗が閉店]

 6月、大阪のふぐ料理店が閉店したというニュースから思うこと大(だい)でした。

創業から100年、この店で多くの人たちがめったに食べられるものではないふぐ料理を囲んで

だんらん、歓談懇談、出会いと交流を楽しんだことでしょう。お金の準備があれば人々は自由に

集い合えることを前提にした商いでした。お店からすれば、多くの客を迎えようとあの手この手の

営業に努めてきたことでしょう。でも現在では大人数で集まって肩寄せ合って膝突き合わせて

歌ったり笑ったりにぎやかに興じることができにくくなったのです。この店はこの変化は続くと

見通し、これまでのような営業はできないと判断したのでしょう。

[人との距離を取るという生活様式]

 道を歩く際は人から遠ざかる、人を遠ざける、できるだけ街歩きをしない、狭い空間に集まって

長い時間語らう会に出席しない、バス・電車を利用する外出はできるだけしない、

こんなふうになった自分がいます。自分がコロナに感染したくないというだけではなく、

自分の家族や教会のみなさん、アルバイト先のマンションに住むみなさんを感染させては

ならないという責任が自分にはあると自覚するようになったのです。

[それでも工夫を重ねて私たちはアデルフォイで集い続けたい]

 各自が自宅で礼拝することに加え、6月からはアデルフォイに集まって礼拝することを

再開しました。アデルフォイの礼拝では座席は2m離して配置、こうすると椅子を6席配置できます、

礼拝中はマスク着用、讃美歌は出席者の同意があれば小声で歌う、

礼拝の後は昼食を持参した者が距離をとって会食、早めに解散。

これからも工夫を重ねて礼拝を開催していきましょう。

[イエスの名のもとに二人、三人が集まる礼拝の実に感謝]

 みなさんは、ひとり家にいて聖書を読みつつ、イエスの言行に感動する、自らのこれまでの

歩みを省み与えられてきた恵みに感謝する、隣人の平和を祈る、そんな時を大切されて

おられることでしょう。私も自宅の自室で、アデルフォイのメモリアル室で良い時を過ごしています。

加えて日曜日礼拝に集う方と共に礼拝し語らうことで、一人では味わえないことがあると感じています。

仲間とともにいることで感じる温かさ、清らかさ、ときにはおごそかさ、新しい気付き、励まし、そして

神聖なる真実に出会ったような気持ち。私たちは他の人間と出会い、自分の五感を使って体験を

することも必要な生きもの人間なのでしょう。

[アデルフォイ会計上での対応]

 アデルフォイを一年運営・会堂設備維持のためのお金の支出は、私たちみなの礼拝献金に

よっています。少人数の集いでも一年間ではそれなりの金額が必要です。今後はメンバーの集まることが

少なくなり、かつメンバーは年金暮らしになって献金額が少なくなることを前提にお金のかからない

運営に努めていきましょう。

[そしてこの状況のもとでの私たちの平和作りとは]

・まずは自分の家族や場と時間をご一緒する方を自分が感染させてしまうことのないように、

日常行動を慎重に。

・なかなか直接会えない家族、友、アデルフォイの仲間が孤立することのないように、メール、電話、

手紙、ズームなどを活用して、その方の自立・自律を妨げない、声掛けをし合いましょう。

・日本社会で、世界の各地でコロナ禍によって困窮している方々への支援に献金することで加わりましょう。

・これまで私たちのひとりひとりが個人的に続けている平和作りを「新しい革袋」としての手法を

探求しつつ続けていきましょう。

 

             2020年7月10日   石谷忠之牧師記

 

 

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