お読みくださるみなさん、いつもありがとうございます。
なにか、みなさんが読んでにんまりできるようなことを書きたいな、と
思っています。生活を続けていけるから、いろいろなことに直面します、
できればねぎらいの言葉を互いに交わし、根っこにおいて
生きていることを喜び感謝したいと思います。
詩を書きました。
「閑雲野鶴(かんうんやかく)のランニング」
あなたくらいの歳(とし)になったら
もう貯金ではなくて貯筋を心がけなさいといううながしに
それはそうだと同感し始めたのがランニング。
とは言っても
とうに貯金できるような収入はなし
むしろ少々の貯えが頼りのわたしなのだが。
ランニング
わたしにはその気はあるのだが
全く早く走ることができない
歩いて進むのとさしてかわらじ。
思い起こせば50年ほど前
中学校の運動会での800m競争では常勝のわたし。
そのころがなつかしくいとおしい
あのころから残っているのは1分間の心拍数45から55
このからだでずっと生きてきたんだ
早く走れた時は過ぎ
今日はのろのろ走法
このあとどうなる
閑雲野鶴(かんうんやかく)のランニングが待ってくれている
ああ
大袈裟になってしまいました
2022年2月19日土曜日
石谷忠之牧師記