5月の礼拝メッセージ(要約)

6月に入りました。梅雨の季節でもありますね、心身健やかに過ごされますようにお祈りします。

「やぎさんゆうびん」は楽しい歌ですね。教会では礼拝のなかで実際に歌い、感想を分かち合うことをしました。

しろやぎさんが書いてくれた手紙をくろやぎさんは読まずに食べてしまい、しかたがないので、ご用事なあに、と今度はくろやぎさんがしろやぎさんに手紙を書きますが、しろやぎさんったら読まずに食べてしまって、しかたがないので、ご用事なあにとくろやぎさんに手紙を書く。それがユーモラスに続いていきます。両やぎさん、実に仲がいいのです。同じように手紙を食べてしまって、しかしでしょうか、だからこそでしょうか、相手を赦し合い、相手への関心を失わないで、手紙のやり取りは続いていくのです。

4月、5月に聖書を読むなかで、私は、イエスは出会う人ひとりひとりの、いま・ここに「在る」ということを何よりも大切にされたと気付かされました。こどもとして「在る」、病気を抱えて「在る」、律法を守れないで「在る」、取税人として「在る」、サマリアびととして「在る」、女性として「在る」・・・。弟子たちをはじめとする人たちが、「在る」の前のことで寛容でなくなるのに、イエスには「在る」で十分、これこそは神のみこころなのです。私たちも、互いに「在る」ことを大切にし合うことから交流し関係を作っていけたらどんなにいいだろうと思います。実際は、性格、人柄、健康状態、努力、知識、見識、経済力、業績、性別、年齢、はては受洗、教会奉仕などなど、いったいいくつのめがねで人を見勝ちな私たちがいることか、見勝ちがこびりついている私がいるのです、赦してください。

パウロに「あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい」ということばあります。(Ⅰコリ1:26) 何よりも、いま・ここに「自分が在る」「あなたが在る」ことを喜び大切に思うことを生活の根っこに置きたい、と思います。これは、私たちへの招きです。

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