ある姉妹のことで

 ルカによる福音書10章38節~42節。

 よく知られたマルタとマリアの姉妹の物語。

私は接待に一所懸命の姉のマルタの気持ちが良く分かりますが、やっぱり、

イエスが姉を手伝わずにイエスの話を一心に聞いている妹のマリアを

叱らなかったこと、良かったと思います。

姉妹といえども、姉と妹はそれぞれの尊厳と経験を持っていて、自由に自分の生きる道を

作ることができるのです。このことを了解し合っての姉と妹の協力と協同作業ならばいいのです。

このことは姉妹という関係だけではなく、夫婦でも親子でも教会の仲間の間でも、友人や知人との

関係においても大切なことです。むつかしいことですが、親しい者の個人性、その自由と尊厳を

尊重する姿勢ではおりたいと思います。

マルタは接待の繁忙さのなかで、マリアは独自の考えを持つ、持っても良い自由を備えた独立した

人間であることを見失ったのです。姉妹というあまりにも近しい間柄のために思い及んでいなかった

かもしれません。しかし、家族といってもひとりひとりは個人、独立した人間なのだということを前提に

して尊重しその上でお互いの歩むことを応援できたらどんなにいいでしょうか。

 

 教育の現場もそうだと思います。生徒たちひとりひとりは自由に自分の歩む道を作っていくことの

できる尊厳を備えて生まれてきたのです。国が大人が思想、習俗・習慣を強制するようなことを

してはならないのだと思います。

 

 イエスはマリアの自由な行動を止めることはしませんでした。

一人の人間の持つ重さ、その自由な選択・行動を何よりも大切にしよう、私の思いを押し付けては

いけないのです。

私たちは身近な人との関係にこの物語を活かしていきたいと思います。

 

                 2015年7月8日       石谷牧師記

 

 

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