« やまつつじの花
お世話になった大先輩が永眠・召天されました。
私はその方が書かれたもののうち、手元にあったいくつかの講演原稿、機関誌などへの
寄稿文を改めて読むことでした。その中で先輩に繋がれたことを考えました。
繋がれたことは、自分と隣人の信仰の自由を権力から守り、互いは互いの信仰、
思想を尊重し合うことでした。
繋いだのは、先輩の先祖たちでした。
大先輩の先祖はスイス人、イエスの教えたこと、
たとえば「敵を愛せよ(マタイ福音書5章43節から48節)」、は変えてはならないこととして、
厳格に守ろうとする、プロテスタントメノナイト派でした。祖父がスイスにあった徴兵制度を拒みました、
そして信仰の自由な表現ができる場を求めてアメリカに移住したのでした。
召天され大先輩のお連れ合いの父親は中国での宣教師でした。お連れ合いは
1929年(昭和4年)に生まれから1940年(昭和15年)まで、日本の侵略戦争下の中国で
育ちました。父親は身辺で起こった日本軍の残虐な行為について書き残しています。
お連れ合いには、少なからず、人間が人間のいのちを軽んじた事実の体験が残ったのです。
権力によって人間の良心が、隣人愛がゆがめられ破壊されることを知ったのです。
大先輩夫妻が広島に過ごされたた十数年の交流をなつかしく、貴重なこととして思い起こすとき、
この夫妻は、自分たちを主張されず聞く側に立ち、まず相手の必要としていることを考える、そんな
姿勢でありました。お互いの考えること、選択すること、信ずることの、自由を大事にして、その上で
共に生きる関係を作りたいと願っておられたと思います。ちからによって人間に強制していくような
ことを強く憎んだ夫妻であったと思います。
召天された大先輩とお連れ合いには先祖の経験が繋がれていたのだとを思います。
夫妻はこの生きる姿勢を、自分たちが心から願った「イエスの弟子たらん」と歩む道の歩き方として
自然に、本当に自然に振舞われていたのでした。
そしてこの姿勢は夫妻から私にアデルフォイに繋がれたと感じています。
2015年5月19日 石谷牧師記