9月のメッセージ「9月11日、あの日から15年」

 2001年9月11日、ニューヨークの貿易センタービルに向けて旅客機を使っての攻撃と

その直後の貿易センタービルが倒壊していく影像を見たときの衝撃を忘れることができません。

なぜこんなことが起こるのか、と頭抱え、命を失った人たちの私と同じ喜怒哀楽の日常を思い胸痛めた日。

 

 その日から15年の2016年9月11日の日曜日礼拝で分かち合ったこと。

暴力と憎悪の連鎖は現在も続く、子どもたちの命が空爆によって無残、悲惨に奪われ

続けている、奪う者たちは誰だ。かわいい子どもを失った者たちの嘆きの泣き叫び、叫びにも

ならないあきらめ、うらみに沈む沈黙が今日も世界の各地でうずまいている。

私たち人間に人間に対する希望はあるか。

 

 今日は2011年3月11日から5年半年。あの大地震と大津波そして福島第一原発事故から

私たちはどんなことを肝に銘じたか、あの日を原点にして日本の社会、原発政策はどのように変わってきたか。

日常の、こうしてみなが生きて生活を共にし合っていることの幸い、がもうすでに忘れられていないか。

安全に処理できない放射性廃棄物を貯め続けている原発は再稼働された。

 

 どうなっているのか、人間に何が足らないのか、何が欠けているから、

暴力によって子どもたちのいのちが未来が奪われ続けていくのか、これからも。

台風、地震、津波、火山噴火という自然の営みと背中合わせに暮らす私たちに何が欠けているから、

何が足らないから、原発は再稼働されているのか。

 

 私たちのあいだのどこに希望の種が蒔かれ芽吹いているか。

 

 イエスの宣教の生活、それは当時の社会の権力層の人間を、おまえは人間の尊厳をどう考え生きているかと

鋭く問うものであったので反感を買い、権力層による無残で悲惨極まる十字架の刑死で終りました。

イエスの宣教生活のあいだのどこで希望の種が蒔かれ芽吹いていったか。

 イエスの十字架になる横木を運べと徴用されてしまったクレネ人シモンという男、どうやらこの男の二人の息子は

イエスの弟子となったようです。イエスについて回った女たちのマグダラのマリアが最初の復活体験者。イエスの

処刑の現場責任である百人隊長は、神に生きる人とはこういう人かと感動したのか「この人こそ神の子だった」。

確かにひとりの人間からイエスが受け継がれていく、そして次の人間がイエスを受け継いでいった、今日まで、

と十字架刑死の日から始まった、きょうも続いているできごとを思う時、私は温かい希望に満たされます。

 

 実際2001年9月11日の直後から世界中に見られる暴力の応酬と連鎖を、

互いを愛すること、尊厳を認め合うこころでおおいそして癒そうと立ち上がった広島の市民たちの行動が

毎週水曜日の夕方に原爆ドーム前で続けられています。

広島を訪れた旅人たちの中には足をとめて思いを重ね祈りを共にする方がいます。そしてみなで

歌います。

  ♪All we are saying is give peace a chance♪  (ジョン・レノン)

一粒の小さな種だけれど、私には確かな希望、人間への希望です。

 

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 2001年9月から毎週水曜日18時30分から行われている市民による平和を祈る集い

 

                    2016年10月5日   石谷牧師記

 

 

 

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