私は全国各地のメノナイトの仲間とともに学びの機会を持っています。
今年は、東日本大震災の現場を訪ねました。現地のみなさまのご協力をいただき
良き学びができました、これを広島での生活に活かしていきたいと思います。
以下にその報告をいたします。
第9回 2016年ヒロシマとメノナイトのもとに集い合うセミナー報告
広島メノナイト・キリスト教会 石谷忠之
行動:
2016年9月17日(土)カリタス石巻にて大津波震災語り部武田政夫さんの証言
大川小学校訪問
2016年9月18日(日)常磐自動車道を使い被災地域相馬~いわき市を経て]
常磐教会礼拝出席
教会開設いわき食品放射能計測所「いのり」の見学、説明を聞く
2016年9月19日(月)福島駅東口環境省・福島県が開設した除染情報プラザにて省み会
私は日頃から次の二つをバランスよく生きることができたらと願っています。
一つはいまここに存在する人間、展開する状況、の必要にふさわしく行動すること、
二つ目はその人間とその状況を作っている原因・要因・背景に関わる行動をすることです。
言い換えると、後者は過去と現在人間が何をしてきたかを省みて次世代のそして未来の人間に
対する責任を担うこと、前者はいまここに存在する人間のいのちと尊厳を守ること、
この二つが私の生活の歩みに具体的に実践されていることが私の願いです。
このような願いを持つ私は今年のセミナーで出会った方たちから示唆を得ました。
死なずにすんだ人間がいたのではないか―私のこころに残ったこと
石巻市立大川小学校の子どもたちは50分間校庭に待機後に避難を始めたが、
その時はもう間に合わず津波にのまれて児童74名教員10名の死者が出た、
これは速やかな避難誘導を怠った教師たちの判断の誤りではないかと私は考えています。
16日の下見では偶然にも来訪者を案内するために来ておられた、遺族たちが作った
「小さな命の意味を考える会」の会員の方に(娘さん亡くし息子さんはかろうじて生きのびた)と
お会いし、短い時間でしたが、同会の願っていることをお聞きし、合わせて子どもたちが逃げる
ことができたであろう隣接する山への道を教えていただきました。
現場に立ち、「いのちてんでんこ」の原則-津波がくることを予想してすみやかに高台に逃げること-を
実行していれば子どもたち、教職員は死なずにすんだのではないかという思いを深めたことでした。
しかしそれは実現しなかった、なぜなのだろうか、あのとき教員たちは50分間職員会議で
何を話していたのか、なぜの問いが今日もこころ落ち着かせてくれません。以下は私の問いです。
・避難する時を逃がすな、けれど逃がしてしまった。その原因は何か
・「小さな命の意味を考える会」が石巻教育委員会の責任を問う裁判を起こしたのは、
避難が始まるまでの過程を明らかにして、子どもたちの死をこれからに活かしたいから。
石巻教育委員会は遺族の願いにどう応えているか。
写真は震災遺構となった大川小学校校舎
子どもたちが逃げることができたのではないかと考えられている学校に隣接する山への道
大津波語り部 武田政夫さん
・前例、過去の自分の体験に囚われるな、事実に即してより安全を追求せよと伝えたい。
・チリ地震津波の体験に囚われて避難しなかった人たち、
避難先からいったん自宅に戻った奥さまは津波にのまれて行方不明となられた。
わたしの見た『人間のいのちと尊厳を守る働き』
これから、命を救うことのできる人間がいるのではないか、
あやまちを繰り返させない、とあの体験を活かそうと立ち上がった人たち
「小さな命の意味を考える会」は、大川小学校で起きたことを講演、ホームページ他に
よって全世界に発信している。
また大川小学校の卒業生には、小学校のガイドを引き受け、その日に何があったかを
語っている方がいる。いずれも子どもたちの死がこれからの学校教育、広く防災教育に
活かされるようにしていくことを願っての行動である。
武田政夫さんは大津波被災の語り部となって、津波がくるときは、より早く、より高く、より遠くに
「てんでんこ」に(めいめいが主体的自発的に)逃げようとご自分の体験を踏まえて語っている。
いわき市常磐教会のみなさんは、従来からいわき市に住む市民と原発事故による避難者との
間に生じている軋轢、緊張が少しでも和らぐよう努めたいと考えている。
また、いわき食品放射能計測所「いのり」を開設し地域の人々の測定希望に応えている。
みなさんの姿勢は、被災者には100人100様の事情と必要があることを理解する、
そしてできるだけそのひとりの必要に応えるというものである。
今回お会いしたこの三組の取組み具体的には、体験を聞きたいと求めてくる人間に
せいいっぱい応えること、放射線被曝を恐れる人間の測定の希望に応えることは、
人間のいのちと尊厳を守ろうとしている働きであると思う。
『未来の人間に対する責任を担う働き』
私はなぜ大川小学校の教員たちは子どもたちを引率して早めに裏山に避難しなかった
のだろうかと思う。また、武田さんの知人一家は津波の大きさを小さいと考えて避難せず
波にのまれた。福島第一原発事故ではそれまで流布していた「安全神話」がもろくも崩れた。
未来の人間に対する責任を担う働きそれは、人々の生命と生活を守るために、
地球と大自然の営みの側ではなく、私たちの側で足らなかったこと、欠けていたことは何かを問い、
完全ではないだろうが、現時点での答えを見つけて、語り出し分かち合い、
ふたたび人間のいのちと尊厳が破壊されないようにしていくことであると思う。
その時に欠けていたこと、私の現時点の答えは、昨日までの自分の知識、体験をふまえつつも、
囚われずに、何よりも「個人」のいのちと尊厳を尊ぶために、今日のこの状況、最新の研究と情報に
即して勇敢にひとりになっても行動できる「個人」がいなかったと私は考える。
それゆえに私の未来の人間に対する責任はこの「個人」に私たち一人一人が成長していくように、
こどもたちが育っていくように行動すること語り出していくことである。
2016年10月3日 石谷牧師記