このところ自分の気持ちが晴れません。
安倍政権になってから、私の願わない法律が次々矢継ぎ早に成立しました。
特定秘密保護法、集団的自衛権を認める法律、恐らくは自公と維新によって成立するこのたびの共謀罪法案。
すでに実行されていることは、原発再稼働、福島原発事故避難者の帰還を進めること、沖縄辺野古埋め立て工事、
高江のヘリパット設置工事、インドとの原子力協定、日本政府は核兵器禁止条約制定交渉に不参加などなど。
こうも願わないことが現実になるということは、そもそも私がおかしいのか。
広島では脱原発を願う市民が第一と第三金曜日に続けているアピールウオークが100回となり、記念のウオークが
5月20日(土)に行われました。第1回目は2012年10月5日です。私もウオークに参加していますが、現実は
脱原発ではなく再稼働される原発が次々です。
地震大国、自然災害大国の日本列島に原発は危険である、安全に処理できない原発廃棄物を
もうこれ以上子孫に残さない、の気持ちは変わることなく強まるばかりです。
しかしいったいアピールウオークを幾度続けたら願う脱原発が実現するのか。
このごろ考えていること。
「反対」と「抗議」の声を上げる運動に何かを加えないと、私の願っていることは実現しないのだ、ということ。
私の願ってはいないことを推進する人たちは、政治権力と法律とお金という力(ちから)を持つから、
このちからにもの言わせて押してくる、押してくる・・・。「反対」「断固阻止」一点張りでは願っている
ことは実現しなかった。同じ人間なのに壁ができ強固にされ、溝ができ深くなった。
積極的に、または消極的に、あるいは沈黙することで結果的に政権を支持している市民には、
私の願っていることに賛同して欲しい、けれど「反対」と「抗議」だけでは市民の心にはに届かないばかりか
距離を置かれているのではないか。
いままでのやり方では自分の願っていることは実現しない、何かが足りないのです。
私の願わないことを推進する人間にも、まだ声を上げていない人間にも共感してもらって、
一緒になってより佳きことを実現できるような、現実にことが起こるようになるには、何を加えればよいか。
お互いの主義主張を述べるだけならばインフォメーションの一方方向でよいだろう、そうではなく
願っていることを実現させたいならば、コミュニケーション、双方向での対話が生まれなければ。
私の願っていることに近づけるためには、「反対」と「抗議」の運動だけでは足りない。
現に切実な苦しみの声を上げている方の側に立って、打開を願って「反対」「抗議」の声を上げつつ、
これに事態が少しでも佳きように変わっていくための「何か」を加えたい。
現在の日本社会における、社会全体の人々に和解と喜びと互いへの配慮を産み出す
「ネルソンマンデラなるもの」「マザーテレサなるもの」、それは今どんな行動でしょうか。
2017年5月29日(月) 石谷牧師記