「神が人間をどれほどに大切にしていることか」、のことばと共に参加しました

 わたしたちの神は、悪人たちの上にも、善人たちの上にも彼の太陽を上らせ、

義なるものたちの上にも不義なるものたちの上にも雨を降らせてくださっているではないか。

これはイエスに示されていた、神が人間をどれほどに大切にしているか、のことばです。

(マタイによる福音書5章45節) 悪人とか善人とか、義なる者とか不義なる者とか、神の恵みに

生かされることに、人間側に備えておくべき条件なし、悪人も不義なる者もかけがえなきいのち。

嬉しいですね、ほっとします。私は悪人ですし、不義なる者になるのですから。

救いがあります。私たちの神が善人と義なる者だけを大切にされるのではないということ。

この四者、地球上に仲間として生きとっていいということです。

 

 神が人間をどれほどに大切にしているか、は私には次のように広がっていきます。

暴力によって失われてよい命はない、お互いが言い分を持つ自分の利益を守り追求する戦いで、人間が死んではならない、

粘り強く利益を調整する交渉を重ねることに徹する、そしてこのことをまずは誰が実行するか、

私でしょう、私たちの教会でしょう、私たちの日本でしょう、そしてイエスでした、というふうに。

 

 国の政治指導者も国民です、しかし私たちも国民です。お互いの理想、願いを表していいのです。

だから、どうしても人間のいのちを粗末にしがちになる人の世が、だれにとっても安心して寿命をまっとうできるようになるために、

「私はこう思います」という声を伝えたい。

 

 このような思いをもって、私は6月20日「集団的自衛権の行使容認反対」、「秘密法廃止」、

「原発の再稼働反対」のひろしま市民デモに参加しました。

自衛、防衛とかの言い方がされても、現実には現場では戦場では、人間が殺し合うことに間違いがありません。

どんな場合でも、人間は殺し合うのではない解決の方法を見出したいと、私は思います。

私たちは、ちから、武力に頼って国を守るに舵を切るのではないなら、

どんな方法で中国、ロシア、諸外国との利益を調整するのか、との問いをこれまでも抱えてきました。

これからも、すくなくとも、あなたまかせ、政治家任せにはしない歩みをしたい、と思っています。

                     (2014年6月24日  石谷牧師記)

 

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