今日は、16世紀ヨーロッパに起こった宗教改革の、わたしにとっての意味に
ついて考えることでした。イエスの前に人が「個人」として立つことが回復された日、
そしてこのことから始め、常にこのことに立ち帰っていく人々の列が今日まで続いて
いる、私もメノナイト派の一員としてこの列の中にいるのだということ。
イエスの前に「個人」として立てることは恵みである、
そして「すでに恵みを受けたる者になれ」と鋭く自分の在りようが問われることである。
わたしはすでに大いなる赦しの内にある、そうであるから、赦しを受けたる者になれ、
という緊張、背中を押されるような招きを感じます。
宗教改革によって与えられている私のチャレンジです。
2014年10月31日 石谷牧師記