第16信「2014年10月開催JMFセミナー第Ⅲ分科会報告」

 私は今年10月に東京杉並区の方南町教会を会場にして行われたJMFセミナーで、第Ⅲ分科会―「地の塩として現代社会における預言者的使命・社会的責任」―を担当しました。

以下はその報告です。


 私はこのセミナーにおいて全国各地のメノナイト兄姉と共に、私たちが生活している社会をどのように認識し、その上でどのようなことが自分たちにはできるかを考える機会にしたいと思いました。そのためにまず次の三点の設問に回答を求めるアンケートを実施し、各地のメノナイト13名の協力を得て回答資料集を作成しました。


1.イエスはご自分が生きられたその時、その生きている場の課題をどのようにとらえ、それにどう取り組まれたと、あなたは思いますか?


2.そのイエスの生きざまに励まされ、促されて、あなたは現代の社会のどのような課題に教会またクリスチャンは今取り組むべきであると思いますか?また、そう考える理由は?


3.あなたはそれらの課題に実際にどう取り組んでいますか?または、取り組もうとしていますか?あるいはどのような取り組みが可能だと思いますか?

 

 13名の内訳は協議会6名、TAFMC1名、兄弟団2名、教会会議4名。JMFを構成している4団体の兄姉の協力を得ることができたことは幸いでした。回答内容はまさに13人13様、それぞれの生活背景がありそのなかでイエスとの出会いがあり、みなさんはイエスの導きを得て信仰生活を歩んでいると感じるものでした。イエスがその生涯をかけて何を願い求めたと考えているか、その死の意味、十字架と復活にあらわされた神からの人間へのメッセージについての理解が13人13様に確かにあって、それゆえのその人の預言者的使命・社会的責任の自覚となっていると感じました。


 このアンケート回答を踏まえて、分科会の目的を、私たちが生きる日本社会のなかで私たちが果たすことのできる預言者的働き社会的責任について、参加者各自の意見・考えを分かち合うこと、そして自分にはない考えに心を開いて、私たちがさらに地の塩・世の光となる働きができるようになることにしました。イエスの弟子でありたいという願いを私たちは共通して持っています、だからこそ、自分にはない兄弟姉妹の考えや取組みを聞き、心を開き、自分を省み、このセミナーを体験することで、自分の考えや取組みをさらに深め広げていきたいと願いました。


 第3分科会は20名ほどが参加しました。できるだけ密な交流をしながらテーマに沿った話し合いをしたいと考えて、20名が3グループに分かれて話し合う時間も作りました。

最初のセクションはテーマに沿った二つの発題と路上生活者の方への食糧支援を続けている方南町教会からの報告、参加者各自の自己紹介でした。つぎのセクションでは、3グループに分かれて夕食をともにしながら、発題に関する感想、テーマに関しての思いや所属する教会と自分の取組みを語り合い、再び全体会に戻りグループ発表をしました。翌日の最終セクションでは、各自のまとめとして、本セミナーに出席して考えたこと学んだことを分かち合いました。


 まず発題。※下記の要約は発題のほんの一部であることをご了解ください。


Mさん(教会会議)

 イエスは差別される側、異端視される側、異常とされる側、劣っているとされる側の人たちの仲間として、十字架の死にいたるまで歩まれている。そしてこのイエスの生きざまは神の然りである。人間に対し神は恵みをもって臨まれている、と自分の現場での取組みのなかでしめされてきた。自分はこのことを信じ拠り所にして、しめされていることを出会う人との関係の中で実現しようとして日常生活の場を大切にして生きている。

 そして、現在、具体的な問題の一つとして心を痛め注視していることは在日朝鮮人の方々に対する「ヘイトスピーチ」である。「ヘイトスピーチ」は人間として生きる権利を脅かす行為である。誰もが安心して自由に生きる権利は、神の恵みに支えられている一人一人の権利である、そして人間が相互に認め合い保障し合うべきことではないのか。この国で抑圧を受けている在日外国人に連帯することが求められている。


Sさん(教会会議)

 人間の罪によって生じている、暴力の行使、基本的人権を軽視する昨今の政治と社会状況を憂い、教会で語り、大分市内の弁護士・市民と協力して活動をしている。自分は現政権の政策に対して抗議している。


Oさん(TAFMC)

 ある日路上生活者が方南町教会に支援を求めて来訪されたことが機会になって、教会を挙げて路上生活の方への食糧支援を続けている。祈りつつこの方たちと関わっていること、そうした中で生まれた交流と礼拝に出席する方について報告。具体的な毎月の食糧支援の方法、食糧購入方法・費用などについてもお聞きすることができた。


参加者の分かち合いでの発言から。


・これまではそこまではなかったが、現政権になってから成立している法律にたいへん危機感を持っており、それを声に出していく、抗議行動もしていく必要があるのではないかと思うようになっている。

・方南町教会が、求めてきた路上生活者の必要に応じて、教会のできることを具体的なかたちにして、継続して行っていることを、教会が地域社会とつながっていることと見る。方南町教会は、すべての人のいのちと尊厳を大切にしようと預言者の声を挙げていると感じた。また、どんな人であっても、一人一人はそれぞれに固有の背景を抱えた異なる人間である。自分もそうである。路上生活者の「ひとり」の必要に応えていく取り組みは、すべての人が固有の存在であり固有の必要を持っているのであるから、私たちが隣人の固有さ、独自なことに丁寧に応えていくということにつながっていくように思う。このことは個人が軽んじられる現代日本社会のなかでは、地の塩、預言者的働きなのではないか。

・神は人間をどう見つめてくださっているか。人間は愛に欠け、弱い、しかしそれでも自由が保障され、神のみむねに生きよと期待され招かれている。神の願いは、私たちが私たちのいのちとくらしを互いに大切にし合うこと。神はこのことがすべての人たちに実現されるようにいっしょに働いてほしいと、私たちに願っていると思う。まずは関わりのある身近な人たちのいのちとくらしを大切にしていく、そしてそのような姿勢をもって生きることをまず私たちが行い、続け、そしてだんだんと私たちの社会の雰囲気、精神文化になっていくようにと願う。

・神の赦しと恵み、イエスの模範と導きによって、一人一人のメンバーが個性、その固有なことを認められて、自由に発言し生き生きとして存在できる教会をみなで配慮して作っていきたい。この取り組みがあって、社会と世界のすべての人にも同じことが実現するようにと求める預言者的働き、地の塩としての働きができるのではないか。

 

セミナーを終えて私の感想。

 それぞれの方が自分の生活する場で、関わる方との関係を通じて、イエスの弟子として行動をする者でありたいと願っていると、強く感じる学びとなりました。また現在の私たちの社会のどんなところに関心を注ぎ危機感をいだき、それに対してどう行動しているかは、アンケート回答において、分科会討議において、同じメノナイト派の教会員でもまったくひとりひとり違っていました、このことに驚きつつ、それだからこそ私たちは独自で固有な存在なのだと思いました。このことをはずさずに、加えて私はみなさんと次のことを共有・共感して、祈りと行動を合わせたいと思っています。

・私たちには、神が、イエスが、人間一人一人を大切な存在としてみてくださっていることが原点である。まず、教会、家庭、身近な人との関係のなかでこのメッセージを分かち合う。そして社会のなかでの私たちの社会的責任を果たすこと・預言者的働きはその展開である。すでに神はこの社会の中でちいさくされた者のいのちとくらしを大切にしようとして働いておられる。


・喫緊のこととして歴史に学ぶときに、私たちが教会のこと、生活の場でのことに終始している間に、私たちはとんでもない戦争に巻き込まれ加害者の側の一翼となった、また悲劇を味わう者になったという歴史の事実がある。現在の政治・社会状況に少しでもそんな不安があるなら、自分の取組みを急ぎ広げて、日本政府のちから(武力)でもって争いを解決する姿勢をいましめることは私たちの預言者としての働き・社会的責任ではないか。

 また我が国と世界において貧困者と暴力を産む構造をいつまでも放置するような政治に対して、これは「いかん」という思いを共有し声を挙げて抗議し、すべての人のいのちと暮らしが守られるように変えていくことは私たちの社会的責任ではないか。私たちには過去の歴史を変えることはできないが、いまとこれからの歴史を作ることはできる。武力増強ではなく対話と協調に努めること、国民の間にある貧困と差別を小さくしていくこと、国民の知る権利を実現する情報公開を強く進めることを、私は現政府に求めようと呼びかけたい。

 

 私にとってこの第Ⅲ分科会での学びは、これからの自分の働きの方向と具体的な実践の柱を考える機会となりました。全国のメノナイトのみなさんの協力と参加に心から感謝し報告とします、ありがとうございました。


以上

広島メノナイト・キリスト教会牧師 石谷忠之

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