5月のメッセージ(要約)「あなたとわたしの願い」

 (ペンテコステ、聖霊降臨礼拝でのメッセージ)

 

 私たちが共有している願いがふたつあります。

ひとつは、イエスのことばと行動から自分への赦しと招きを知っている私たちは、

それを生活の場で活かすことを願っている。

ふたつめは、自分の生きる意味が、他の人にあることを知っている、信じている。

だから精一杯生きることを願っている。

 

 マタイ福音書18章21節以下。

 ある時ペテロが自分たちは他人を幾度赦さねばなりませんか、とイエスに聞きました。

それに対して、イエスは7の70倍まで、どこまでも赦しなさいと答えます。

 このごろ私は思います。

私がその人のことを赦さないでいる間、私はその人に引きずられている、その人への

憎しみ、怒り、思い出すことでの不快感で嫌になります。忘れた方が身のためになって

いるのですが、赦さないといつまでもその人に引きずられている自分がいます。

赦さないと、私は自立していない、自由ではないのです。

 他人を赦すことができないペテロにイエスは、たとえを語って、実はペテロこそが、

私たちこそが、どんなに赦された者であるのかを語ります。1万タラントンの負債ある者が、

この金額は6000日分の賃金の1万倍という桁外れの金額なのですが、貸し手から負債を

帳消しにしてもらったにも関わらず、賃金100日分の借金を自分にしている友人への取り

立てを激しく行う姿を描いているたとえ。

 私は自分のことを反省すると足らない自分の姿が次々に出てきてしまいます。

約束の時間になっても人が来ないとなげくことがあります、

でも私自身、駅までの所要時間の目算をを誤って乗り遅れたことが何度あることか、

スケジュール表を良く見なかったために所定の日時に行かなかった失敗もあります。

そんな数あることから始まって、根本的にある私の愛の足りなさ、あるいは長いものに

まかれてしまう情けない弱さ。そんな私がみなさんから赦されて今の私が在ることを

知っています、だからすこしでも赦す者でありたいのです。

 

 自分の生きる意味は、自分は知ることができず、それは他の人にある、他のひとが

知っているように思います。

 マルコ福音書15章33節以下。イエスは「エリ、エリ、レマサバクタニ・わが神、わが神、

なぜわたしを見捨てられたのですか」と十字架上で絶叫します、そして息たえて死にます。

自分の生きる意味を最後まで求めたイエスの姿、分からなくなってしまったイエスの姿が

入り混じるようにしてえがかれています、そして死。

直後、この姿を見ていたローマ兵が「まことにこの人こそ神の子であった」と語り、

また幾人かのイエスの女弟子たちがじっとイエスの最後の姿を見ていたとあります。

そしてこの女たちはイエスの復活を体験していくようになっていきます。

イエスの生きた意味はイエスには明らかにされず、周りの者たちがその意味を知るようになる、

ということです。この福音書を書いたマルコもその意味を知る者のひとりですし、私たちも

同じようなのです。

 自分の生きている意味を問うて生活しているのではないと思われる人、たとえばおさなご。

おさなごの存在は実に大きいです、周りの大人たちを和ませてくれます、成長の過程は

大人に新鮮な驚きを与えてくれます。大人はおさなごに自分を重ねてお世話になった方への

感謝に導かれます。あさなごの生きる意味は十分に周りの大人たちにあります。

 たぶん私たちが考え及ばないくらいに、あなたと私の生きる意味が周りの人にあるのだ

と思います。だから精一杯生きていかなくてはと思うのです。あなたの生きることによって、

大切なことを知らされたり考えたり深められたりする人がいるのです。

あなたは自分を大切にして精一杯生活していけばいいのです。

あんまり自分の生きる意味を問わなくてもいいのではないでしょうか。

 

 今日の一日が、赦しに生きる生活となるように、そして精一杯生きる者であるように、

これをあなたと私の共有する祈りにしようではありませんか。こうした生活、歩みができるのは

社会にそれを認める文化があってのことです。だからこそ、この祈りが台無しにされるような

環境ではなくて、祈りが分かち合われ共感される社会的雰囲気、文化を作っていきたいのです。

 またこうした生活をわたしたちにだけが選べるのではなく、世界中の人たちが自分の生き方を

選んで生活できるようになればと思うのです。富の分配、教育と医療の普及を待っている人たちが

います。私たちへの期待には大きいものがあります。

 地上でふたり三人が心合わせて集まるところに私も共にいる、とのイエスのことばに励まされて

これからも私たちは歩んでいきましょう。

 

                       2015年5月30日  石谷牧師記

 

 

 

 

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