若者をテロとよばれる行為に追い詰めない

  「なぜなら、天の王国は次のような家の主人と同じである。彼は自分の葡萄園に

労働者を雇おうとして、夜が明けると同時に外へ出て行った。」

                      岩波訳 マタイによる福音書20章1節

 

 パリ同時多発殺傷行為を行ったフランスの若者たち、なぜあのような野蛮な行為に

及んだのか。

 移民の子孫ゆえの差別、就職したいが採用してもらえない、失業中が続くなど、

それが貧困につながり、将来に対する望みを失い、やがて絶望と怒り。怒りの矛先は富裕層、

社会体制に向けられる。そこに乗じてIS(イスラム国)が兵士へと勧誘してくる、兵士になることは

就職先を得ることであり、怒りを爆発させる場を得ることになる。このような指摘があります。

 

 私はイスラエル占領下のパレスチナでイスラエルに対して暴力行為に走る若者の心理を

聞くにつけ、就職できず経済的貧困がいつまでも続くことを何とかしたいのに、自分では

どうするこもできないとなれば、これはもう誰かが自分を「抑圧」していると考えるのは当然と思い

ます。

 

 この状況下で、「平和を作り出す」ことの具体化のひとつ。それは「職場」を作り出すこと、

職場を作っている者、作り出そうとする者を「応援」することです。

 マタイ福音書20章のぶどう園の労働者のたとえをこれまでそのように読んだことはありません

でしたが、ぶどう園の主人は日雇いで生活する者たちが働くことのできる「職場」を持ち、早朝から労働者を

雇うために自ら出かけいき、そして彼らが一日生活するために必要な現金を、労働時間の長さを問わず、

みなに一様に支払っています。

 飢えやひもじさの心配から今日一日解放される安心を労働者に提供している主人の姿。天の国はそのような

主人のようであると言い切られています。誰もが安心して生きることができるようになる、のが天の国。

あなたたちもこれに倣い、自らだれもが安心して働き、生活していく上で必要な給与を得る「職場」を創造しなさいとの

招きを受けているように思いました。閉塞状態の中にいる若者たちの中で「平和を作り出す」ことの具体的な実践に

なることでしょう。あるいはすでに始まっている「職場」に貢献していくことも平和を作り出す働きでしょう。

パリの事件を受けて、マタイ福音書20章1節以下のイエスのたとえから考えています。

 

                                2015年11月25日  石谷牧師記

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