7月の音楽礼拝、参加者がそれぞれに歌いたい歌、みなに紹介したい歌を準備して
集まりました。私は自分の子どものころからこんにちまで、どんな歌を歌ってきたか、
それは自分の歩みの紹介にもなったのですが、語らせていただきました。
まず、こどものころ。私の郷里は宮崎県の日向灘に面した町。長く続く砂浜を
休みの日何時間も歩いたものです。波打ち際を、海に入ったり、貝がらを拾ったり、砂浜に腰を
おろして水平線を見つめたり・・・ ・・・。そのときの歌は「うみ」 うみはひろいなおおきいな~♪
そして「浜辺のうた」。両親の愛情と見守りの中で幸福な日々でした。
大分で学生だったころに初めてイエスの弟子たらんと願う人間たちに出会い強く心を
動かされ、洗礼を受け入信しました。このときは聖歌「キリストにはかえられません」、
よく歌ったものです。
就職して福岡市に暮らし始めたころは、小椋桂の「さらば青春」。
♪ぼくは呼びかけはしない、とおく過ぎ去るものに~♪
自分の生き方、自分のしたい仕事は何かを探し始めていました。初めて自分と自分の仕事について
考えは始めたのでした。私の青春から次の部屋に入っていくころだったのだと思います。
広島に来て35年、61歳になりました。
いくつかの歌に感動しました。「ヒロシマのある国でしなければならないこと」、
讃美歌121番「この人を見よ」。「風に立つライオン」には私たち日本の市民が
もっともっと目覚めて作り出していくべきものが確かにあると共感共振して聞くことです。
毎年夏がくると口ずさみ歌い継いでいきたいと感じる歌は「さとうきび畑」です。
この歌は静かに戦争の愚かさを伝えてくれます、父を亡くした少女のかなしみの歌が
いまも世界中に聞こえています。
私はこの夏もこの「さとうきび畑」を歌っています。
2016年8月3日 石谷牧師記