わたしのこのごろ思うことを述べます。
私は中学卒業後の5年間は親元を離れて大分で学生生活を過ごしましたが、
そのとき以来交流の続いている友人が先週末に広島へひとり旅。私たちの結婚式に
駆け付けてくださった1982年以来の広島だったそうです。金曜日、土曜日とふたりで市内、
宮島と歩きながら卒業してからのことをぽつぽつ、思い起こすことの中からゆっくりと
ことばにしました。社会人になった、結婚した、子育てのなかでの父親であった、
長く同じ職場で働き退職した、健康のこと、そしてこのごろの近況・・・。
語りながら私自身のことで思うこと。私が大分で学生生活を過ごしたのは、大袈裟な表現ですが、
父の家庭経営に従うものでした。学んだ土木工学も学んだ大分という地も16歳の少年には
予期することも準備することもできないことでした。しかし大分での5年間で現在に続くものに出会いました。
さらには、父と母からの私の歩みへの直接的な関わりは二十歳までで終り、その後の就職、退職、
西南大学神学部での学び、広島移住と就職、結婚、退職、そしていま、は幾人かの人と相談することはあっても、
私自らがその都度考え悩みして決めてきたことでした。
この誰からの妨害・干渉を受けずに自分の行き先を選び決めることができたことを、これも大袈裟ですが、
「幸いなる奇跡」と思っています。すべてのひとが私と同じではないことを知っているからです。
できうるものなら、だれかの生きることの応援をすることはしても、その人の生きることを妨害しない、
わたしでありたいな。 写真は16日(土)宮島もみじ谷。
2019年11月18日(月) 石谷牧師記