平和公園の「平和の鐘」

 明日は広島に原爆投下された日から69年。

私は1981年から広島に暮らし始めましたが、

前日から雨の予報になっている8月6日は記憶に

ないほど、毎年のように、

あの日のような夏の大空が広がった朝を迎えていました。

 各国各地から平和公園に集まる人たちのことを思えば

できれば青空をと思いますが、ことしは、人間は天候を

コントロールできない限界を持った者たちであるをきっかけに

して、人間の作ってきた愚かしい戦争の歴史と救いのように

続けられた平和の取組みを静かに思い起こす日として、

8月6日を迎えたいと思います。

 

こんな歌がありました。

    死んだ兵士の残したものは

    こわれた銃とゆがんだ地球

    他には何も残せなかった

    平和ひとつ残せなかった

        (谷川俊太郎と武満徹)

 いったい人間と人間の間の争い、

国と国の間の紛争と国益の衝突を、

人間どうしが敵味方に分かれての殺し合いで解決できたのでしょうか、

できるのでしょうか。勝者と敗者、とてつもない犠牲と悲しみと損失、

蒔かれてしまう次の戦争の火種。

 

命令であったから殺し合った、

法律で定められた任務であったから殺し合った兵士たち、

息子むすめを、友を、恋人を法律だからと自分に言い聞かせて、

送り出さざるを得なかった私たち市民。

あやまちは繰り返してはなりません。

自分たちの武器は自衛のため、彼らの持っている武器は攻撃するため、

などと思考停止になってはなりません。

 

 自分に都合の良い口実はいくらでも作れるでしょうが、こと殺し合いだけは

これからはすまい、わたしたちは外交解決をどこまでも追求する、

この思いを新たにする明日を迎えたいと思います。

 

 紹介する写真は平和公園内にある「平和の鐘」です。

国境がありません。私たちの子どもたちが、孫たちが、

あたかも国境のない、地球市民として、これから人類が直面するで

あろう困難を、地球市民として解決できるようになるためには、

現在の大人たちが自分なりの理想と夢を作って行動してほしい、

そんなメッセージを「平和の鐘」から聞くのです。

      (2014年8月5日 石谷牧師記)

 

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