私は8時15分を牛田の不動院というお寺の境内で迎えました。あの日、多くの
被爆者が逃げ延びてきた爆心地から北の方にある寺です。蝉しぐれと幹線県道を走る
車両の音、被爆者と戦争受難者を思い祈り、また、これから少し先自分は何をするかについて、
導きを祈りつつ考えていました。
不動院を出て、平和公園に向かい舟入高校演劇部による原爆孤児の戦後をテーマにした
演劇、午後からは28歳で被爆し現在98歳の肥田舜太郎医師による原爆被爆と福島原発事故
による被曝に関する講演、比治山の放射線影響研究所に向かい低線量被曝の健康への影響に
関する展示、追悼平和祈念館にて被爆証言朗読の会、最後は元安川の護岸に座り、流れてくる
灯ろうを見つめながら教会の友と一日を振り返ることでした。
被爆者に戦争受難者に死んだ者にも生き残った者にも唯一の出来事と唯一の思いがあります。
それをやはりていねいに見つめてゆくことを忘れてはならないでしょう。それと同じくらいに、
だれがなにが被爆者と戦争受難者を作ったのか、そのだれと、そのなにが、は現在もう消えたか、
についても、わたしたちひとりひとりが追求していく、その火種が消えていなければ消していく、
ことも続けていきたい、そのように考えています。
2015年8月8日 石谷牧師記