安保法のあと、さあこれからだ

 またしてもゆるしてしまった、という気持ちです。このたびの安保法の成立。

痛みとして思い知ったことは、「立憲主義」もこれを軽んじる者が政治権力を握れば、

ひとたまりもない、絵に描いた餅、「安全神話」に過ぎないということです。

 原子炉は多重防護されており、メルトスルー、メルトダウンは起こらないとされて

きた日本の原発、あの大地震・大津波の際に、それは安全神話に過ぎなかったことが

暴露されました、そのときと似たような思いです。

 まだまだ私たちが「安全神話」にひたっていることがあるように思います、たとえば

日本には徴兵はない、福島原発事故のような原発事故は起こらない、とか・・・。

 

 これからです。自然災害と人間災害(人災)によって、いのちとくらしが台無しにされた

これまでの歴史上のことが、またふたたび起こるのだ、という気持ちでこれから歩むことです。

自分は「安全神話」にひたっているのではないかと、これからはたびたび考えることにしましょう。

そのうえで現在のわたしたちと次に生まれてくる人たちの、いのちとくらしを守るために自分が

できることは何かを考え実行していく者になろうではありませんか。

 

 写真は安保法の廃棄を求めて、

9月18日(金)夕刻に自民党広島県本部前で行われた市民の集いです。

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           2015年9月20日(日)   石谷牧師記

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