わたしのこれからを、長期的な視点ではどうしたいか、喫緊のこと・短期的には
どう取り組むかを文章にしました。しばしばこの文章を読み返し一日一日生きることの
示唆としたいと思います。
Ⅰ.私の現実認識・私の願っていること
まず私の現実認識について述べます。
私たちの国では、国策によって基本的人権を奪われた者に対して、その者が補償を
求めない場合でも、補償を求めて立ち上がるならいっそう、国の権力と権力を支えて
いるこの国の世論、日本人の体質的傾向・文化は、冷たく厳しい。この者を無視する、
分断する、受忍を強制する、握りつぶそうとする。今はそうではないかもしれないが、
潜在的にわたしたちは常に握りつぶされる側にいる。たとえば、握りつぶされている
人々の声にはここ数年に限っても次のようなものがある。
・在外被爆者、黒い雨による被爆者、アメリカ軍空襲被災者の国家保障を求める声
・公害による病気であるとの認定を求める声
・米軍基地の移転を求める声
・脱原発を求める声
・福島原発事故による被曝を恐れて帰還しないことを決めた者の声、国が指定した
福島県内地域以外で被曝を避けて自主避難した者からの事故の責任の所在と補償を求める声
・ヘイトスピーチを向けられた人々の長年の人権尊重を求める声
・日の丸・君が代の実質的強制に反対する者の声
・以上の声に共感し補償と行政支援を求める市民の声
さらには私たち市民の側には根強いお上まかせの傾向がある。この背景には政治参加の
意識がもともと希薄な上に、学校教育を通じても国民が主権者であることが教科指導に比べて
熱心には教えられていないことがある。加えて経済的豊かさをつかむこと、維持することに
私たち国民は強い関心を傾けるが、偏った富の配分によって貧困層が固定化していることを
受忍するという拝金思想がある。
そうじて私たち国民は政府、行政に対する主張が弱い。国民が政治を作るという意識が育って
いないことは各種の選挙投票率が低調なこととして現れている。現在の米国偏重・右傾化する
政治の現状を作っているのは私たち国民の政治に対する無作為、無批判を続ける精神的体質である。
私はこういう現実の中でイエスの福音よって生かされている。そして宣教する。イエスの福音
そして私の願うことはこの日本の現実の中で、私たちが一人の人間としてかけがえのない者で
あることを知って喜び、自分を含めて人間の尊厳が守られることのために働く喜びを知るということである。
だから国策によって個人の尊厳を省みられない人間がいる現実のなかで、私たちはこの現実を変える働きを
していきたいと思う。この行動はイエスの福音を実現する宣教である。
では具体的にはどうしたらいいのか。個人の存在、個人の尊厳、その基本的人権が十二分に尊重される文化、
社会、政治を作り出していくことだ。この取り組みには、長期的な視野に立つ粘り強い取り組みと、いまここで
尊厳の守られることを願っている人たちと共にあろうとする取り組みと二つがあると考える。前者を長期的立ち位置、
後者を短期的立ち位置として、具体的に私たちにできることは何かを述べる。
Ⅱ.私の長期的立ち位置
啓蒙と教育
私のなすべきことは啓蒙であり教育である。私はさまざまな場、多用な手段を用いて私の思いを発信していこう。
教会教育、社会教育、学校教育にて個人を重んじる心を育てる教育実践を行い、
またこの実践をすでに続けてきた方々と共に個人の尊厳を重要視する教育を広げることに努めよう。
このことと表裏一体のこととして主権者意識を育てる教育を実践しよう。政治を作るのは私たち市民である
という民主主義の主体の自覚を持った人間を育てるのである。
改悪教育基本法によって個人の尊重よりも国への忠誠心を求める動きが学校教育の現場、地域社会教育
の現場に浸透してきている。国家権力に教育の場を奪われてはならない、個人を育てる教育の場は国民のものであり、
その担い手は私たち国民であることが共有理解になるように努めていこう。
情報について
特定秘密保護法に象徴されるように、私たちはかつての「大本営発表」のごとき政府に都合の良い情報に
よって社会生活をせざるをえないようになる、という危惧がある。日常生活において手に入る情報を批判し
真実は何かを求めていくことを忘れてはならない。
それでは良質な情報をどのように入手すればいいのか。これには全国のメノナイトのネットワークによって
私たちが各地の仲間と直接出会ってそれぞれの生活現場で得た情報を突き合わせて検証できる定期的集会が
有効だろう。この意味で本セミナーネットワークにより多くのメノナイトの加入を求めその者たちによる定期的集会開催に努めよう。
日常の集会の場
それぞれの生活の場において、個人が育ち、良質の情報を交換できる集会の場を定期的に開催していくことが
ますます重要になってきた。私たちならまず礼拝、聖書研究、祈祷会、また家庭にての家族、親しい知人・友人との
自然な語らいの場をそのような視点でとらえ直し、改善すべき点があるならば手を加えて、自立し主権者意識を持つ
人間が育つ貴重な場として大切に継続していこう。また自分たちの集いを持つことに加えて、市民運動の集いに
参加するなどしてその活動に協力・支援し、個人が育つ文化をみなで作る喜びを分かち合い、なかなか自分たちの声が
行政に聞かれず政策になっていかないにもかかわらず運動を続ける者たちの励まし合う場を作っていこう。
Ⅲ.私の短期的立ち位置
バプテスマのヨハネは悔い改めて生き方の方向を変えよと宣教し、イエスはヨハネからバプテスマを受けたあと
「時は満ちた、そして神の王国は近づいた。回心せよ、そして福音の中で信ぜよ」(マルコによる福音書1章15節岩波訳)と宣言し、
すでに届いている恵み・福音を伝え、この福音・恵みの中での新しい生き方へと人々を招いた。私はすべての人にこの新しい生き方への
招きを語っていきたい。そのために私はイエスの福音によって、人間がどのようなことに目覚め、出会い、
どのような方向に向かって生き方を変えたかについて絶えざる学びを続けていく。また私たちの生活の場において、
イエスならどこに行こうとされるか、誰に会おうとされるか、誰と共に在ろうされるか、何を語りどうふるまわれるかを考え、
イエスの足、手、声となる者でありたい。
この願いを持つ私は、現在進行している政府による人権を踏みにじる作為、無作為の行為に対して、諸教会の仲間、
市民運動の人々と連携して抗議の活動を続ける。また、「いま、ここで」助けを求めている人に応えていく。
・骨抜きとなった「子ども・被災者生活支援法」が被災者の希望に沿うものになること
・特定秘密保護法が政府・行政に都合よく運用されてしまい国民の知る権利が破壊されないようにする
・専守防衛・自衛のための施策から、米国の利益追求の戦争に加担せざるをえない集団的自衛権への政策転換に反対し続ける。
私たちの国日本はちから・武力によって国家間の問題・紛争の解決をしようとしてはならず、実際に武力は紛争を解決できるどころか
新たな戦争の火種を作った。
・自分を含めて周りの人たちに政治に関心を持つよう促し、選挙の際に投票を呼びかける。
Ⅳ.まとめ
情報を得る場、教育の場、思想・信条・宗教心を自由に育む場、を政治権力に牛耳られてはならない。
私たちの国の歴史おいて牛耳られることはイエスが示している自らと他者に尊厳意識を持つ個人となっていくことが奪われることであった。
ルカによる福音書19章1節から10節によれば、ザアカイはイエスに出会い、イエスが自分の客になってくれることを通じて、
大きく生きる方向を変えた。自分で自らのなすべきことを考える者になり、自分のできることを実行しようと決断した。
ザアカイは人間は不正をして他の人間を苦しめてはならない、だから自分は他の人間に何ができるか、社会に対して何ができるか、
と生き方を質的に変貌させた。イエスはそういうザアカイを認めてこの人はアブラハムの子になったと言った。
自分の生きる現実の中に、抑圧と不合理と不公正とを認めてそれを克服する方向に自己を決意する、そういう個人へと
ザアカイはイエスによって変えられた。
私は、このような個人に、自分と周りの人々、社会を構成する全ての者がなっていくことを願う。私たち一人ひとりの国民が
現実のなかに抑圧と不合理と不公正を認め克服しようとすることを通じて、国民主権は実質となり、民主的な政治が行われる国になるのだ。
以上、私は長期的立ち位置、短期的立ち位置から出てくる行動を続けていきます。
2015年9月26日 石谷牧師記