アデルフォイの風

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私も「本の紹介」2冊

 新聞、雑誌などを読むなかで本の紹介に目がとまることがあります。

そして促されるように読んで、「良かった」と思うことも多いのです。

 芥川龍之介「杜子春」。

(鉄冠子)「ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな」

「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」

杜子春の声には今までにはない晴れ晴れとした調子がこもっていました。

「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇わないから」

人間が復活する、「復活」が人間にのこされる、ことを描くいい場面です。

 

纐纈 厚 著 「日本降伏」―迷走する戦争指導の果てに― (日本評論社 2013)

 私は現在、被爆証言伝承に取り組んでいるのですが、広島、長崎に原爆が投下される

原因になった中国との戦争、アメリカとの戦争について知りたいと考え読んだ1冊です。

 読み始めてすぐに、人間魚雷回天訓練基地(山口県大津島)資料館にある遺書、

そして若者たちの写真が思い出されました。あの戦争は早期に敗戦すべき、「敗戦できる」戦争であったのだ、

若者たちのいのちは軽んじられたのではないか。国益とか自国の存立を全うするといった

言葉が集団的自衛権行使容認の立場から語られるこのごろ、国益とはだれにとっての益なのか、

自国の存立とは具体的には何を守ることか、と考えてしまいます。

 著者は、敵味方となった兵士たち、日本の市民たち、アジアの人々、連合国の人々を巻き込んだ、

あの戦争における天皇、側近、政治家、日本軍将校、戦争指導者たちの姿を、膨大な資料を読み込んで

丹念に時系列に描写しています。

 これからの被爆証言活動に活かしたい1冊となりました。

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                              (2014年6月16日 石谷記)

 

 

 

みんなが持っているすごい「お宝」(ある日の聖書の学び会の様子)

 病気療養中の友を訪ね、そのゆっくりとした、しかし確かな回復ぶりに出会うことで、

私たちに備わっている自然治癒力、免疫力をじつにすごい「お宝」と知ることができています。

食べることによって得たものを、どれほどの過程を経てか、いのちを成長させ修復し回復させる

ちからにしていくこの「お宝」。このお宝を大切にしてなるたけ長く健康寿命を得て、平和を作り

出す一日一日にしていきたいと思います。

 みんなが持っているお宝はまだあります。それは、自分のありのままの姿、自分の「在る」という

ことを大切にしたい、してほしいという気持ち。個人を大切にするという気持ちです。この気持ちを

忘れずに持っていると、自分を大切にし、相手を大切にすることが成長します。そうすると、友ができます。

人との出会いに恵まれます、家庭を作ること、共同体を作ることにつながることもあるでしょう。「本当の

個人主義」と私は名づけたいのですが、これは、共同体、家庭、人との関係から、暴力と孤立を減らし、

尊重と共生を生みます。この「お宝」を持っていることに気付かせてくれたのが、私にはナザレのイエスです。

 

 「本当の個人主義」ではなくて「利己的個人主義」とでも言いたい現実にも直面している私たちです。

自分の「在る」ことは大切であるが、他人の「在る」は大切にしない、金と暴力と法律と不作為とで踏み

にじる。非正規雇用拡大による構造的貧困、年間空間放射線量1ミリシーベルト以上の生活を受認に

仕向ける政治などなど。イエスの殺害も権力と既得権益を守りたいという「利己的個人主義」によって

引き起こされたのでしょう。それで気付く、私たちが持っている三つ目のお宝、それは「自由」ということです。

人間はいかようにも生きる自由を持っています。

  三つのお宝をどう発揮していきましょうか。

 

※このあと出席者で、それぞれの在ることを大切にする、をテーマにして話し合いました。

                                           牧師 石谷忠之 記

5月の礼拝メッセージ(要約)

6月に入りました。梅雨の季節でもありますね、心身健やかに過ごされますようにお祈りします。

「やぎさんゆうびん」は楽しい歌ですね。教会では礼拝のなかで実際に歌い、感想を分かち合うことをしました。

しろやぎさんが書いてくれた手紙をくろやぎさんは読まずに食べてしまい、しかたがないので、ご用事なあに、と今度はくろやぎさんがしろやぎさんに手紙を書きますが、しろやぎさんったら読まずに食べてしまって、しかたがないので、ご用事なあにとくろやぎさんに手紙を書く。それがユーモラスに続いていきます。両やぎさん、実に仲がいいのです。同じように手紙を食べてしまって、しかしでしょうか、だからこそでしょうか、相手を赦し合い、相手への関心を失わないで、手紙のやり取りは続いていくのです。

4月、5月に聖書を読むなかで、私は、イエスは出会う人ひとりひとりの、いま・ここに「在る」ということを何よりも大切にされたと気付かされました。こどもとして「在る」、病気を抱えて「在る」、律法を守れないで「在る」、取税人として「在る」、サマリアびととして「在る」、女性として「在る」・・・。弟子たちをはじめとする人たちが、「在る」の前のことで寛容でなくなるのに、イエスには「在る」で十分、これこそは神のみこころなのです。私たちも、互いに「在る」ことを大切にし合うことから交流し関係を作っていけたらどんなにいいだろうと思います。実際は、性格、人柄、健康状態、努力、知識、見識、経済力、業績、性別、年齢、はては受洗、教会奉仕などなど、いったいいくつのめがねで人を見勝ちな私たちがいることか、見勝ちがこびりついている私がいるのです、赦してください。

パウロに「あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい」ということばあります。(Ⅰコリ1:26) 何よりも、いま・ここに「自分が在る」「あなたが在る」ことを喜び大切に思うことを生活の根っこに置きたい、と思います。これは、私たちへの招きです。

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原爆ドーム写真に託す思い

 教会ホームページのトップ画面の写真は原爆ドームにしました。

かつては広島県産業奨励館として市民に親しまれていた建物でした。

 あなたには原爆ドームの前に立つとどのような声が聞こえるでしょうか。

「戦争することは愚かしいぞう ーー、核兵器が爆発すると地獄になるぞう ーー、

争うことの尽きない私たちだからこそ、平和を平和を作り出してくれなあ ーー」

との声がこだまのように聞こえてきます。

 私たちの教会のみなもとであるイエスのことば。

「幸いだ、平和をつくり出す者たち、

その彼らこそ、神の子らと呼ばれるであろうから。(新約聖書マタイによる福音書5章9節)」

 私たちの教会は原爆が使用されたヒロシマで、このイエスの呼びかけに応えて歩みたい、

との思いを原爆ドーム写真をトップページに置くことで表しました。

はじめまして

これから「アデルフォイの風」として短い文章を発信します。

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