お知らせ

8月、9月、10月の集会予定

 梅雨が明けると本格的な夏ですね。

体調を気遣い、明るい気持ち、元気な日々を過ごしましょう。

2014年8月~10月までの集会の予定をお知らせします。

主日礼拝 午前10時30分~

◎アデルフォイ 8/10,8/17,8/24,8/31,

9/7,9/21,9/28,10/5,10/26

※8月3日の主日、石谷は九州に行きます。

この日は家庭礼拝をお願いします。

※毎年行っている8月6日夕べの祈り会の場所・時刻を変更する

予定です。参加予定のみなさんは石谷までお尋ねください。

※9月28日は礼拝後アデルフォイの美化に取り組みます。

お掃除、花植え、種まき、庭の草取りなどを手分けして行い

ましょう。前回5月のときには二人が前日から宿泊して、

修養会の雰囲気でたっぷり話すということができました。

今回もぜひ実現したいです、ご希望ありませんか。

※10月12日の主日、石谷はJMFセミナー/第8回平和セミナー

に出席するため東京行きます。この日は家庭礼拝をお願いします。

◎発達ルーム「そら」主日礼拝 

9/14,10/19,樹・音(じゅね)の練習もします。

◎アデルフォイ土曜日集会  午後1時30分~

8/30,9/27,10/25

◎アデルフォイアシュラム火曜日の集い午前11時~

  沈黙と黙想、共同の祈りと対話のひとときです

8/12,8/26,9/9,9/23,

10/14,10/28

◎読書会毎月1回 日程は石谷へ問合せください。

◎石谷牧師ジュノーの会への協力日 毎月第2、第3土曜日

 

          (2014年7月20日 石谷牧師記)

 

信頼の果実

 土と太陽と時間と水と私たちの思い及ばない自然に信頼して、

これに少しの私たちの労を加えて、見事なゴーヤができました。

さっそく周りの方たちに配ることができました。

 「信頼」して「つとめる」ことでよきことが生まれ育っていくことを

信じたいです。

 憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、

われらの安全と生存を保持しようと決意した。」これを

ユートピアと一笑にふすのではなくて、信頼して外交努力を

続けようと、これからも政治家に伝えたいと思います。

  (2014年7月18日 石谷牧師記)

 

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花、ささやく

 

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 「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、

神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よく

してくださらないはずがあろうか。マタイ6:30」 イエスと花は、こう

ささやく。

 人間が、自らの手で人間社会に作る現実は、人間に厳しい。

なぜこうなのだろう、なぜもっと優しくなれないのか。

年収1千万円を超す者には残業代を支払わないでよいような話しが交わされ

始め、中小企業は1千万円ではなく減額したらどうかなどと話しが加わる。

こんなことから数えて切りがないほどに、最近、私たちの暮らしの現場は、

人間の命、時間、その土地に育まれた文化や習俗、人の繋がりに、

尊敬を払うことなく、そもそもお金に換算することも慎重であってほしいのに、

あまりに安く見積もられ過ぎではないか。

 

 イエスと花のささやきは、やがてイエスの行動となった。

「ささやき」を実現せねばならない厳しい現実がその時もあった、

イエスは語るだけではなく、行動して実現しようとした。

 

 「私」「あなた」「教会」が「沈黙」していることは、

昨今の風潮を支持し応援することになっている、そうは思ってなくても、

いままでの歴史、どの国でも、「沈黙」は現政権への無言の支持となる。

きょうの、人間の、私たちの尊厳、いのちと暮らしの平安は、守るものではなかった、

昨日までの尊厳と平安は昨日で終っていたのだ。

きょうの尊厳と平安は、きょう神ととともに私たちが作りだすものである。

この簡明な真実を痛切に感じるこのごろです。

「平和を作りだす者は幸いである。

 彼らは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)

声を上げましょう、行動しましょう、

でないと石が叫びます、石が行進を始めます。

  (2014年7月9日 石谷牧師記)

ゴーヤの実り

  写真をご覧ください。自然がゴーヤをプレゼントしてくれました。

昨日の礼拝のあと、収穫してみなで分けました。

 

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6月の礼拝メッセージ(要約)

6月の礼拝メッセージ(要約)

 

          「みんなここにおっていいんよ、わたしも一緒にいるんだよ」

 ガンジーは自分は遠ざけたいと考えていたことでしょう、七つの人間のすがたを語っています。

原則なき政治/道徳なき商業/労働なき富/人格なき教育/人間性なき科学/良心なき快楽/犠牲なき信仰。

現実には、ガンジーの願いに反して、彼は自分の遠ざけたいものに囲まれながら、自らの内にもこれを認めながら、

七つの人間に抵抗する生活が続いたのだと思います。

 自分の願いのようではなく、むしろ拒みたいことに囲まれながら押しつぶされそうになりながら、これに抵抗する

生活をしているのは、あなたもそうではありませんか。

 私のことで言えば、どうしてこのようなことが起こるのだろうか、しかもずっと続いて、私の信じている神さまはこの

事態をどう考えておられるのだろうか、関わってはくださらないのかという問いがしばしば生まれます。

 

 「どうして自分の願っているようにならないのか。」

私はイエスの人間を見つめるまなざしに救いと啓発のようなものを感じています。

たとえば「なぜならば父は(神は)、悪人たちの上にも善人たちの上にも彼の太陽を上らせ、義なる者たちの上に

も不義なる者たちの上にも雨を降らせてくださるからである。(マタイ福音書5章45節)」 私は自分のことを善人と

か義なる者とかと思っているわけではもちろんありません、とてもそういう者ではありません、そうではなく、そうだ、

みんなおっていいんだ、四者四様の人間が、私も、一緒におってもいいんだ。

神はどんな人間に対してもお前はおらなくてもいいと言われる方ではない、むしろ、人間はおのが自由を使って

そこに在り続けることが認められている。これがイエスが親しくアッバ(お父ちゃん)と呼びかけた神から示されて

いる神の人間を見つめるまなざし。そしてイエスに実現したまなざし。

 

 「人間はおのが自由を使ってそこに在り続けることが認められている」から、私のような人間もいるし、私の願っ

ていないことをしようとする人たちもいる。

しかし神が願っていることがある。それはお互いが自由を使ってそこに在り続けることを認め合うこと。このことに

立つなら、自分の存在、利益を妨害する者に直面した時にどう応じていくかという、切実な問いとの格闘が始まり

ます。誠実な格闘をしたいと思います。

イエスが苦悩を経て選んだ実践。イエスを殺す自由を行使しようと、剣と棒を持って取り囲んだ集団に対して、

非暴力をもって抵抗し捕えられるを選んだ。

 

 私は、正義や自衛おのが利益という言葉をあやつって、相手にも正義、自衛、おのが利益という理由が

あるにもかかわらず、徒党を組み集団になって武力行使に傾きがちになる人間が、結局は暴力の連鎖に

自ら苦しむという、繰り返されるあやまちに囲まれながら、

あなたは、みんなここにおっていいんだ、それを実現させる歩みを続けてほしい、との促しを新たに聞くことです。

 私たちはいま、地球上のすべての人間みんなここにおっていいんだ、の風が満ち満ちるまでの途上なので

しょう、が、この風はすでに世界に吹き渡っています、

この風に生かされこの風を喜び、この風を運んでいきましょう。

 

                            (2014年7月4日 石谷牧師記)

 

 

ゴーヤバナナジュースをいただきました

 アデルフォイの菜園のゴーヤに実りがありました。

友人が10センチくらいのまだやわらかいころのゴーヤをまるごと使う、

ゴーヤバナナジュースの作り方を教えてくれました。

そこで早速・・・、おいしくいただきました。

7月は教会に集うみなさんととゴーヤを楽しむことができそうです。

 

 今日7月1日、東京から入ってくるニュースはこのましくないけれど、

めげることなく、平和を作りだす者になっていきましょう。

           (2014年7月1日 石谷牧師記)

 

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美しいオクラの花

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太陽と土と水と・・・いったいどれほどのことが集まって、美しいオクラの花が咲いたのでしょう。

アデルフォイの菜園からオクラのごあいさつをお届けします。

 

 

 

 

 

楽しい読書会でした

 礼拝堂アデルフォイにて、私が勤務していた女子大学の卒業生二人と読書会を続けています。

集まって一冊の本を読むのではなく、各自が関心を持って読んだ本の内容と自分の感想を

述べ合う時間を過ごしています。

 今日は久しぶりの会となりました。私の読書はキリスト教関連を中心にしてかなり偏っていると感じて

います、それで二人の方からの読書の報告は今回も新鮮で新しい発見、気付きがありました。

 

 本日、卒業生が紹介した本の中から、特に私の心に残った文章をご紹介します。

沢村貞子著『貝の歌』(河出文庫)女優である著者が自分の歩んできた道を振り返ったエッセイのような本です。

場面は1945年8月15日、昭和天皇の敗戦宣言の放送(玉音放送)を隣組の人たちと聞いたあと。

(著者)私は、ハッと我にかえって、義妹の顔を見た。義妹の目がパッと輝いた。私たちは、母の手を

引っ張って家の中に駆けこんだ。

「終ったのよ、お母さん、戦争が終ったのよ」

「ほんとうに終ったのかねえ」

〈義妹)「終ったのよ、終ったのよ、私の旦那さまが帰ってくるのよ」

私と義妹は手を握って家の中をぐるぐる踊りまわった。

「もう空襲もおしまいよ」

家中の暗幕をはずして歩いた。

「・・・・・でも日本が敗けたんじゃこれからたいへんだろう」

がっくりすわりこんでいた母が心配そうに声をひそめた。

「そりゃあたいへんよ、きっと・・・・でもいくらたいへんでも戦争して殺し合っているよりましでしょ」

「そうよ、わたしもそう思うわ」

そう言いながら、義妹はいきなりバケツを持ち出して掃除をはじめた。私も勢いよく廊下の雑巾がけを

はじめた。母までが「よいしょ」と立ち上がって、窓のガラスをグイグイふきだした。みんな、なんとなく

からだをうごかさずにはいられなかった。

 

「いくらたいへんでも戦争して殺し合っているよりましでしょ」これは痛快、いい場面だと思います。

女性たちが、もう未来を引き寄せ始めた、たくましい躍動を感じました。

アデルフォイでの読書会は、狭くなりがちな視野を広げてくれています。

                      (2014年6月27日 石谷牧師記)

写真は三人が紹介した本。

 

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アデルフォイの菜園で育っています

 6月、アデルフォイの菜園では野菜が育っています。

食卓にバジル、あおじそ、あかじそ、ねぎ、木の芽を添えることができました。

 

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「神が人間をどれほどに大切にしていることか」、のことばと共に参加しました

 わたしたちの神は、悪人たちの上にも、善人たちの上にも彼の太陽を上らせ、

義なるものたちの上にも不義なるものたちの上にも雨を降らせてくださっているではないか。

これはイエスに示されていた、神が人間をどれほどに大切にしているか、のことばです。

(マタイによる福音書5章45節) 悪人とか善人とか、義なる者とか不義なる者とか、神の恵みに

生かされることに、人間側に備えておくべき条件なし、悪人も不義なる者もかけがえなきいのち。

嬉しいですね、ほっとします。私は悪人ですし、不義なる者になるのですから。

救いがあります。私たちの神が善人と義なる者だけを大切にされるのではないということ。

この四者、地球上に仲間として生きとっていいということです。

 

 神が人間をどれほどに大切にしているか、は私には次のように広がっていきます。

暴力によって失われてよい命はない、お互いが言い分を持つ自分の利益を守り追求する戦いで、人間が死んではならない、

粘り強く利益を調整する交渉を重ねることに徹する、そしてこのことをまずは誰が実行するか、

私でしょう、私たちの教会でしょう、私たちの日本でしょう、そしてイエスでした、というふうに。

 

 国の政治指導者も国民です、しかし私たちも国民です。お互いの理想、願いを表していいのです。

だから、どうしても人間のいのちを粗末にしがちになる人の世が、だれにとっても安心して寿命をまっとうできるようになるために、

「私はこう思います」という声を伝えたい。

 

 このような思いをもって、私は6月20日「集団的自衛権の行使容認反対」、「秘密法廃止」、

「原発の再稼働反対」のひろしま市民デモに参加しました。

自衛、防衛とかの言い方がされても、現実には現場では戦場では、人間が殺し合うことに間違いがありません。

どんな場合でも、人間は殺し合うのではない解決の方法を見出したいと、私は思います。

私たちは、ちから、武力に頼って国を守るに舵を切るのではないなら、

どんな方法で中国、ロシア、諸外国との利益を調整するのか、との問いをこれまでも抱えてきました。

これからも、すくなくとも、あなたまかせ、政治家任せにはしない歩みをしたい、と思っています。

                     (2014年6月24日  石谷牧師記)

 

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