広島県呉市立美術館にて、長野県にある無言館所蔵作品を中心とした絵画展が
11月19日(日)まで行われています。なかなか訪ねることのできない地にある無言館、
私は1945年敗戦の戦争遂行者によって絵の制作に取り組む日々を奪われ、戦地に
召集され、命を奪われた青年芸術家たちの存在を心に刻もうと思い絵の前に立ちました。
深く心に残る一枚の絵がありました。
描いたのは広島県竹原市に生まれた手島守之輔、作品は妹を描いた「少女像」。
明るい赤いワンピース姿の女性が伏し目がちに部屋の中で絨毯の上に座っています、美しい姿です。
私が勤務した女性学院に在学中か卒業したころの清楚である美しい少女。
しかしどこか変なのです。少女の美しさに比べて、周囲の様子が寒々として殺風景というよりは
人間の暮している生活感がないなのです。
手島が愛情を込めて描いたであろう妹は、暖かい陽だまりに花たちと共に座わるがふさわしい、なのになぜだろう。
手島は東京での制作活動を断念して実家に疎開中、その最中1945年に描いた「少女像」。
彼は8月に入りすぐに召集され、広島に集められ6日に被爆、近郊の大野陸軍病院で死亡しています。
手島は戦争をどう見ていたのだろうか。
手島をはじめとする戦没画学生のひとりひとりがあの時にどのような気持ちでキャンバスに向かったのか。
戦争は一握りの人間たちの無謀な暴力選択で始まる、しかしひとたび開始されると破局を迎えるまで
その者たちも止められなくなる。その間にひとりひとりの人間がそのもつすべてとともに巻き込まれ、
ある者は死にある者は自分の夢と自分の生きる道を奪われる。
最善最良の恵みとして幸せとして得ているいまの戦後が、戦前前夜となっていかないように、私にできることは何か。
絵が問うのです。
問われて続けていこう、この問いから逃げないで精一杯応え続けて生きる、こう念じるしかない私です。
2017年10月27日 石谷牧師記
私たちの礼拝堂の一室をメモリアルホールと呼んで、先に地上の歩みを終えられた方たちの
写真を置いています。今日10月22日(主日礼拝)の午後、私はひとりこの部屋にて黙想していました。
ガラス窓の向こうでは超大型台風21号の風を受けて竹林が音をたてて大きく揺れています。
写真の方たちのほとんどは私が親しく交流させていただいた方、私の父と母もいます。私の存じ上げない方は
教会の仲間の親ごさんです。その方たちのお顔を見つめ思うこと、それはみなさんが私に対して、
また教会の友に対して、本当に善意(他の人間のことを思う心)の方であったということです。
私はお一人お一人から受けたことを新たにしていました、その時にひそやかな声が聞こえてきました。
「人間に善意のあることを信じてください。」
「教会は人間が善意をそなえていることを語り続けてください。」
黙想を続ける私は、この声が暴力、武力、ちからで紛争や争いごとを解決しようとする姿勢を批難しており、
非暴力と対話によって和解と平和を作っていくようにと諭している、と聞いたのです。
おりしも今日は安倍政権を継続させるか退場させるかを決める衆議院選挙。
築き上げられようとしていた野党間協力は残念にも壊されてしまいましたが、どのような結果になろうとも、
個人と個人の間、国家と国家の間の争いに対して、相手に善意のあることを信じて、非暴力で
粘り強く争いの火種を消していくことに努める政治家を支持していく姿勢を持ち続けていきたいと思います。
2017年10月22日 石谷牧師記
集会の予定をお知らせする前回のこのページで、アデルフォイの菜園に咲いたかぼちゃの花を
紹介しました。その花が実となりました、下の写真のような大きな実を2個収穫できました。
2017年10月から2018年1月までの集会の予定をお知らせします。
◎アデルフォイ主日礼拝 午前10時30から
10/1,10/8,10/15,10/22, 10/29,
11/5. 11/12.11/19.11/26,
12/3.12/10,12/17,12/24,12/31
2018年 1/7,1/14,1/21,1/28
※11/12は先に地上の歩みを終えられた方を記念する礼拝です。
※12/21はクリスマス礼拝です。300円くらいのプレゼント交換をします、ご用意をお願いいたします。
※11/19,1/28音楽を、10/29,12/17は読書を分かち合う礼拝です。
◎土曜日集会午後1時30分から 10/7,11/4,12/2,1/6
◎アデルフォイアシュラムは第二・第四月曜日です。午前11時から。 変更することがあります、石谷までご照会ください。
なぜ自分がそうしているのかを考えることなく、気付けばもう40年も行っている
ということがあります。
毎週日曜日の礼拝プログラムの順番がそのひとつです。
まず賛美があって、祈り、聖書朗読、説教、献金と感謝の祈り、そして賛美、最後に祝祷を
することもあります。これって自分が考え付いたというより、これまでに出席した礼拝のプログラムを
そのまま、礼拝というのはこのように行うのだろうと思って、自分も同じようにしているのです。
でも礼拝プログラムにこうでなければならないというものはない、野球やサッカーなどのスポーツの
ようなルールはないのです。各地で、各教会で行われている礼拝の形式、プログラムを尊重する
ことを基本にして、自分たちの必要を実現する礼拝、そのときそのとき自分たちがしたい礼拝を
創作して良いのだと考えるようになりました。
大切なことは何か。それは礼拝をとおして私たちがイエスとつながる、イエスとのつながりを回復する、
礼拝をとおして私たちがとなりびとと出会いそして生きることの苦楽を分かち合う者としてつながる、
生かされている人間同士という本来は備わっていたとなりびととのつながりを回復すること、であると思います。
先日の礼拝では、私の説教が「説教講演会」-一方的に語る牧師がいて、出席する者は
拝聴するというようなインホメーション伝達式―にはならないように、共に聖書のことばに
生活していく上での力添えを聞いていこう、聖書のことばからみなが受けたことを分かち合うとして、
私の説教の途中でも気付きや感想があれば、その時点で出席者がだれでも自由に発言し、
みなで対話する(コミュニケーション)という礼拝をいたしました。嬉しいことにこの日の礼拝出席者は
柔軟に応答してくださり、みなで双方向のやりとりをしながら、聖書からのメッセージを分かち合いました。
また8月6日の礼拝のさんびでは、平和の集いで歌い継がれてきた「青い空は」(青い空は青いままで
子どもらに伝えたい)を歌い核兵器廃絶の願う世界中の人々の祈りに連なることをしました。
このような礼拝も有り、でいいのではないでしょうか。
イエスが「アバ」と呼んだ大いなる方、私たちの捧げる礼拝をどうぞお受けください。
写真は普段は地上から見る原爆ドームです。
ドーム全体がどんな姿であったかをより想像できるようになりましたし、焼け残った建物壁の内側の様子から
原爆衝撃波の凄まじさ改めて知ることになりました。ときには視点を変えてみよう、との実体験となりました。
2017年8月14日(月) 石谷牧師記
私たちの集いではふた月に1回、主日礼拝を読書礼拝としています。出席者が
最近読んだ本を持ち寄ってきて、その本から学んだこと読書感想など自由に伝え合う
時間です。
昨日の読書礼拝では3名が報告、それを聞いているとその人が今どんなことに関心を
寄せているかが伝わってきます。
Aさんは韓国の著名な説教者の説教集の感想と、日本本土を空襲した米軍パイロットが、
戦後宣教師となって日本で働き、真珠湾攻撃した日本兵士が宣教師になる機会を
作ったという物語(英語本)について。Bさんはソーシャルアートに関する読書から、アートが
さまざまな個性を引き出しているという現在進行中のドラマを伝えてくれました。
私は目標としているしあわせ寿命で120歳まで活き活きと生きることを、
身体の生理学的面から応援するような貝原益軒「養生」と、精神的には常に政治権力が暴力的に
ならないように目を凝らすようにと示唆する「戦時下のキリスト教(キリスト教史学会編)」。
常日頃から信仰の友として交流してお互いの関心の傾向を少しは分かっていると思って
いるのですが、いやいやけっしてそうではなくて、紹介される本とそれへの感想のことばから、
友への新たな気付き発見をするひとときになっています。また知らなかったことを知ることにも
なっています。そうそうこの礼拝で大切にしていることは、遠慮なく自由に読書の分かち合い
ができる雰囲気を作るということ、そのためには出席者がまず互いに「聞き合う」ようにしています。
読書礼拝の最後は312番いつくしみ深きの讃美歌合唱をして祈り会をして終了。
次回8月にはどんな礼拝になるかなと楽しみです。
2017年6月26日 石谷牧師記
7月から9月までの集会予定は次のようです。
みなさんの出席を心から歓迎しお待ちします。
アデルフォイ菜園に植える野菜は1品種2株にしています。
残念ながら苗を枯らしてしまうことがあります、ひと株だけでも育ってほしいからです。
写真は南京(かぼちゃ)の花です、ひと株は枯れひと株は残りました、実にもなりますように。
野菜作りから学ぶことは多いです。
さて、2017年7月から9月までの集会の予定をお知らせします。
◎アデルフォイ主日礼拝 午前10時30から
7/2,7/9,7/16,7/23, 7/30, 8/6.
8/13.8/20.8/27,9/3.9/10,9/24
※8/6は平和を祈念する礼拝です。。 また
18時30分からは元安橋下流河岸(平和公園側)にて平和を願い祈る集いを開きます
※8/20は先に地上の歩みを終えられた方を記念する礼拝です。
※9/3礼拝後第2回アデルフォイ運営委員会を開催します。
※9/17石谷は平和セミナー出席のため宮崎に行きます、この日は家庭礼拝をお願いします。
※7/30,9/24音楽を、8/27は読書を分かち合う礼拝です。
◎土曜日集会午後1時30分から 7/1,,8/5,,9/2
◎アデルフォイアシュラムは第二・第四月曜日です。午前11時から。
変更することがあります、石谷までご照会ください。
◎石谷の被爆体験伝承講話は3年目に入りました。平和資料館東館で毎月1回行っています。
7月は3日(月)12:30~13:30です。
◎8月21日(月)、石谷は牧師会出席のため宮崎に出張します。
◎私たちの教会のホームページを周りのみなさんにぜひご紹介してください、よろしくお願いします。
2017年6月24日 石谷牧師記
このところ自分の気持ちが晴れません。
安倍政権になってから、私の願わない法律が次々矢継ぎ早に成立しました。
特定秘密保護法、集団的自衛権を認める法律、恐らくは自公と維新によって成立するこのたびの共謀罪法案。
すでに実行されていることは、原発再稼働、福島原発事故避難者の帰還を進めること、沖縄辺野古埋め立て工事、
高江のヘリパット設置工事、インドとの原子力協定、日本政府は核兵器禁止条約制定交渉に不参加などなど。
こうも願わないことが現実になるということは、そもそも私がおかしいのか。
広島では脱原発を願う市民が第一と第三金曜日に続けているアピールウオークが100回となり、記念のウオークが
5月20日(土)に行われました。第1回目は2012年10月5日です。私もウオークに参加していますが、現実は
脱原発ではなく再稼働される原発が次々です。
地震大国、自然災害大国の日本列島に原発は危険である、安全に処理できない原発廃棄物を
もうこれ以上子孫に残さない、の気持ちは変わることなく強まるばかりです。
しかしいったいアピールウオークを幾度続けたら願う脱原発が実現するのか。
このごろ考えていること。
「反対」と「抗議」の声を上げる運動に何かを加えないと、私の願っていることは実現しないのだ、ということ。
私の願ってはいないことを推進する人たちは、政治権力と法律とお金という力(ちから)を持つから、
このちからにもの言わせて押してくる、押してくる・・・。「反対」「断固阻止」一点張りでは願っている
ことは実現しなかった。同じ人間なのに壁ができ強固にされ、溝ができ深くなった。
積極的に、または消極的に、あるいは沈黙することで結果的に政権を支持している市民には、
私の願っていることに賛同して欲しい、けれど「反対」と「抗議」だけでは市民の心にはに届かないばかりか
距離を置かれているのではないか。
いままでのやり方では自分の願っていることは実現しない、何かが足りないのです。
私の願わないことを推進する人間にも、まだ声を上げていない人間にも共感してもらって、
一緒になってより佳きことを実現できるような、現実にことが起こるようになるには、何を加えればよいか。
お互いの主義主張を述べるだけならばインフォメーションの一方方向でよいだろう、そうではなく
願っていることを実現させたいならば、コミュニケーション、双方向での対話が生まれなければ。
私の願っていることに近づけるためには、「反対」と「抗議」の運動だけでは足りない。
現に切実な苦しみの声を上げている方の側に立って、打開を願って「反対」「抗議」の声を上げつつ、
これに事態が少しでも佳きように変わっていくための「何か」を加えたい。
現在の日本社会における、社会全体の人々に和解と喜びと互いへの配慮を産み出す
「ネルソンマンデラなるもの」「マザーテレサなるもの」、それは今どんな行動でしょうか。
2017年5月29日(月) 石谷牧師記
いやになるほど世界に不気味な混乱と混沌は尽きることがありません。
国内では防衛省、文科省の立場のある者たちによる、
自分らに都合の良いあたかも大本営発表のような言葉の言い換えと国民軽視の隠ぺいが続き、
森友のことでは、天から大きな声を受けたからなのかどうか、学校開設に至るまでに関わる
行政職員のチェックが大甘で、挙句の果てが4月開校が断念される始末。
国外では、トランプ政権は国連の活動資金と世界環境改善に供する資金を減額する一方で
米国民をちからで守るのだと国防費を増やすことを鮮明にしました。
また核兵器を増強して世界一の核抑止力をさらに増強しようとしています。核軍拡競争に歯止めを
かけることのできるアメリカがこの調子なら、核兵器使用禁止の動き、核兵器廃絶の動きは後退してしまいます。
また欧州では移民と難民への排外排斥を主張する政党への支持高まる・・・。
いったいどうなっているのか、憂うのです、これからの子どもたちに私たち大人は
どんな世界を作って渡していこうとしているのか。
日本と世界の近現代史に残された幾多の人間のいのちと尊厳を奪った史実とそれに至った経緯を
私たち大人はこどもたちのために活かすことはできないのか。
どこに、どのようにして、私は希望を持てるのか。
この人間の動きを作っているのは私たち人間であることに間違いない、のであるならば
私たち人間が変わればこの世界をきっと変えることができる。オバマさんのレッツ「チェンジ」の呼びかけは
正しかったと思います。
あやまちを犯した者の不正、不作為、逸脱、犯罪を指摘糾弾することだけでは、望む世界は作れない。
人間ひとりひとりが個人として歴史に学び、人間は地球に生きている生き物のひとつであると知り、
有限なる生涯において何が一番大切なことかが分かってくるなら、
そうのような人間がすこしずつ増えていきそして周りの人間に影響を与えていくようになれば世界は変わる。
たとえ長い時間かかっても人間は人間の生きる世界を変えることができる。
今年も春の到来に感謝。
アデルフォイに咲いた水仙の花が、周りの現象にうろたえるな、
変わらないものに身を委ねて自分のやるべきことをやり続けていけ、と促してくれました。。
2017年3月18日 石谷牧師記
放置してして良いこととは、あなたも思われないことでしょう。
国際非政府組織(NGO)オックスファムの2017年1月16日発表によると、
世界で最も裕福な8人が持っている資産が日本円に換算して約48兆7千億円、これは世界の
人口の約半分36億7500万人の資産額に相当するとのこと。(毎日新聞1月17日付)
これを平均すると、8人はひとりで4億5937万人分の資産を持っていることになります。
これを2010年にさかのぼると上位388人の資産が世界の人口の約半分の持つ資産と同じだった
とのこと。(2017年1月25日毎日新聞11ページオピニオン水野和夫氏による記事)
わずか6年の間に超富裕層の収入は相当に増えたが、世界の貧困層、中流層の収入は増えていない
ということではないでしょうか。オックスファムによると、1988年から2011年までの23年間に、
世界の資産下位10%の人々の収入は年平均3ドル増えたが(23年で70ドルくらいでしょうか)、
一方資産上位超富裕層1%の人々の増加幅は23年間で182倍であった、
貧富格差の一因は「縁故資本主義」、私は初めて聞く言葉ですが、意味は大企業などが
政府の規制や国際政策に影響を及ぼして自らの利益を増やしていくこと。
こんな金銭的富の集中と独占が進んでいることは、すべての人間が食と住居と教育と衛生と仕事を
享受することを望んでいる私にとって驚愕です。たとえ大海の一滴の水であろうとも、持っているもの、
たとえばお金、時間、関心を持って取り組めることを周りの人間と「分け合う」生活を続け、
この大切さを語る機会を逃さず、「分かち合うことのさいわい」を共感できる場を作っていきたいと思います。
トランプさんの政治のキーワード「アメリカ第一主義」は富の集中と独占の果実を、超富裕層だけではなくて
生活が苦しくなったと訴えるアメリカの自分の支持層まで享受できるようにするということか、
と私は受けとめています。
しかしこれではアメリカによるアメリカのための他国への「貧しさの押し付け」、「貧しさの構造化、固定化」が
いっそう進んでいくことにならないか、と考えるのです。
「すさまじき天文学的ちぶ」を推進してきた、推進している側が持っている、ながねん使用してきた
ノウハウを使って自分の支持者が少しは富を享受できるようにするだけの政治になるかもしれません。
世界のどこでどれほどの反発と抵抗がどんな形になって現れてくることでしょうか。深い関心事となりました。
いずれにしても私のできることは、「分け合う」ことをしていこう、語っていこう、こう思う私です。
2017年1月28日(土) 石谷牧師記
ことし初めての投稿です。
読者のみなさま2017年もどうぞよろしくお願いいたします。
うれしいことに、感謝なことに元旦に年賀状をいただきました。私はいつも正月明けて
返信をすることにしています。読者のみなさまにも読んでいただければ幸いです。
雪の中の教会礼拝堂アデルフォイ(ギリシャ語で仲間たちの意味)
お元気に2017年を始めておられることでしょう。年賀状をありがとうございました。
私はおかげさまでこころも体も明るく元気に1月をスタートさせています。
昨年までは“健康寿命”で120歳まで生きようをモットーにしていた私ですが、
今年からはそれを変えて“しあわせ寿命”にすることにしました。体の調子も含めて、
一日一日の中にしあわせを見つけて感じて作っていけたらと思います。
こうしてお便りを交換できる方がいることもしあわせなことです。
ことしもよろしくお願いいたします。
いましばらく寒さが続きます、どうかご自愛ください。 2017年1月
2017年1月16日 石谷牧師記