お知らせ

深紅面目16 「5月の連休恒例の山歩きを楽しみました」

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  私は5月の連休中に友人と広島市近郊の山を歩くことを恒例にしています。

昨日は西区の三滝を出発して、大原山・宗箇山・丸山と歩きました。丸山の標高は457m、

合わせて10km位の距離。

 このホームページになかなか文章を書けないことが続いています。ホームページを開いて

くださる方には申し訳ないです。書きたいことはあるのです、礼拝説教を続けることもできて

います。

 これからしばらくは近況報告のような文章を掲載しようと思います、良かったら今後とも

よろしくお願いいたします。

 

         2019年5月5日     石谷牧師記

 

 

 

深紅面目15 「語り合う醍醐味を体験しました」

 9月22日から24日までの三日間、各地に住む友らと宮崎県小林市にある

霧島キリスト教兄弟団礼拝堂に集い、「いま自分が遺すことば」をテーマにして

語り合いました。集まった20名ほどの友らがこれまで生きてきたなかで、

「このこと」を自分は大切なこと伝えたいと思うようになった、「このこと」を語り合ったことでした。

私の集いに参加しての感想は次のようです。

 

 私はこのセミナーに参加して、集まったひとりひとりが、そこに集うた方々から「個人」として

大切されながら、安心して座り、語り合い、聞き合い、内面にあった思いが引き出され、

新しい思いが生まれ、ある時には沈黙していることでなにごとかを表現し、そのようにして語らいが

進むなかで、実に豊かな交流が展開していくという醍醐味を味わうことができました。

 私のセミナー参加の目的のひとつは、集まったみなさんがこれまで生きてきたなかで、

人間にとって大切なことは「これだ」と思うようになられた、「これだ」を聞かせていただくことでした。

私の「これだ」については、開会礼拝説教において話させていただきました。

 

≪自分の体験と見聞から、となりびとが他の人間から本気で個人として大切にされることによって、

かつ生きることで生じる喜怒哀楽を分かち合う友と場を持っていることによって、その方は心身ともに

健やかに生活し、幼子であれば目覚ましく成長し、高齢者であれば平安である。

だから、私たちが周りのとなりびとを個人として大切にし、その方が持つつながりのひとつになることで、

その方が健やかに生きること、喜び生きることを応援できる―ましてや私たちはイエスによる赦しを

受けている者、そしてとなり人のとなり人になりなさいと、イエスが先にいまし・またともにいまして、

招かれている者―。となりびとの生きることを応援することは私たちにいつでもできることです。≫

 

 私がひとしきり話させていただいたあとで、今度は参加者が三つのグループに分かれて

私の説教への感想、自分がこれまで生きてきたなかで人間にとって大切なことは「これだ」と

思うようになった、という語り合いが始まりました。そしてこの語り合いがそののちどのように

進行展開していったか。みなさんの発言されたことは、実に具体的、ひごろの生活の

実践を踏まえての、各人各様の内容でした。

私はその言葉を私の友であるみなさんの「のこす言葉」として記録しました。

 参加者のお一人は、教師生活のなかで得た教え子たちとの出会いと交流は貴重である、

一度しかない人生をお互いせいいっぱい生きようと教え子たちと話していると語られました。

またある方からは、悲しみと不安の体験を重ねながら祈り続けた中で得た言葉を聞かせて

いただきました。私の心は集われたみなさんから出てくる言葉に感動していました。

その方の語る言葉と生きるご様子が一体になっていると強く感じたのです。

まさにその方と、その方にしか語れない言葉に出会うという醍醐味です。

 さらに私は、自分が語っている言葉について再考する機会を得ました。

たとえばこの文章でも使った「個人」という言葉に次のような意味を加えることができました。

「私たちは生きているけれど、すでに死を宿している―しかしその死をひとりで迎える

のではない。かならず支える友がいる、慈しむ方がいます。

―そして自分はいかに生きるのかという宗教的問いにこたえようとして、

それぞれの道を私たちは生きている。

これが私の“個人”である。私たちはみなこのように生きる個人である。」

 

  私に本セミナー開会説教の準備はあっても、そのあとの、結びに至るまでの

きっちりとした筋書きはありませんでした。落ち着くところ・結びについて考えている

ことはありましたが、どうしてもという結びではないゆるやかなもの。

そんなふうに始まった私にとってのセミナーでしたが、終ってみると、集まった友らの

それぞれに大切にしている今現在の「のこす言葉」を、

その方のたたずまい、ご様子を見ることで、その語られた言葉を聞くことで、知ることのできた

セミナーになりました。これを今回のセミナーの「醍醐味」と言わずしてなんと言いましょうか。

 

           2018年10月29日   石谷牧師記

 

この夏、感動しつつ読んだ本

 この夏、感動しつつ読み終えた本を紹介します。

 『赤ヘル1975 重松清著 講談社文庫』

 今年も我らがカープはセリーグ首位を走り続けています、私は残念ながらマツダスタジアムには

行けていないのですが、テレビ、スポーツニュースで応援しています。

この本はカープが初めてリーグ優勝した1975年の、広島の町を舞台にして成長していく

中学一年生の物語です。私は感動し引き込まれながら読み終えました。

ひとつにはリーグ初優勝へのカープの試合運びがなつかしい選手名の活躍を随所に入れて

描かれているから、それいじょうに原爆から30年を経てのヒバクシャの思い、

家族を奪われた者たちの思いが(筆者によく調べられて)語られていく、

そしてそのなかで初々しい三人の少年が心の交流を深めていく、そしてやがて・・・

その姿がいいのです。 一度手にとって見てくださると嬉しいです。

 

      2018年8月3日金曜日   石谷牧師記

 

深紅面目14 「私たちの平和作りの基本そして応用編」

 私たちが勇気づけられたり、慰められたりするのはどういう時でしょうか。

誰かに自分が大切にされていると感じる時はそのひとつだと思います。たとえば、私は宮崎市の教会で

礼拝奉仕を1年に一度させていただく機会があるのですが、その教会の方から説教の感想とともに

礼状をいただくことがあります。私にだけ宛てられた手紙です、正直嬉しく、この方の生きることに用いられた

ことを知り励まされます。この方が私のために時間を作って手紙を書いてくださる、その時間は私に向かい合って

くださっている、嬉しいのです、なかなか得難いことと感じています。

「いったいいち」になって向い合い、相手を大切にする、相手に大切にされる、このことは、私たちが活き活きと

喜び深く生きていくことを支えているのではないでしょうか。そしてこの喜びから私たちの平和を作り出す行動が

生まれていくのです。

 7月の説教では、「いったいいち」になって向い合い、相手を大切にする、相手に大切にされる様子を、

イエスのたとえから、パウロの手紙から、読み取り分かち合いました。たとえば、パウロの「ピレモンへの手紙」。

パウロは自分がイエスへの信仰に導いたピレモンに手紙を書き、向い合います。そしてピレモンの奴隷であった

オネシモが同じ信仰を持つようになったことを知らせ、ピレモンに対しオネシモを友として、仲間として迎えて

くれるように懇願します。ピレモンがパウロに強いられたからではなくて、自発的にオネシモを迎えてくれるように

懇願します。私はここにパウロの他の人間との関係作りの基本を見出す思いです。そして言い換えれば、

他の人間との間が平和はこの姿勢によって作られるのだと思います。

 また、ルカ福音書15章の放蕩息子の譬をとりあげました。「父」は、相続した遺産をすべて使い果たして

帰還した弟に「いったいいち」で向い合い、帰ってきたことを喜びます。条件なしに弟と向い合い大切にする

父の姿は、まさに生前のイエスの、罪人・地の民呼ばわりされた人間に関わる姿勢でした。後半、父は祝宴に

加わろうとしない兄のもとにかけつけ、これまた「いったいいちで」向かい合い、兄の言い分を受けとめつつ、

自分の思いを伝える対話を試みます、兄が自発的に弟を赦し帰還を喜ぶ者になって欲しいと懇願します。

生前のイエスの、自らに敵意を剥きだす者に向かっても、力(ちから)を使わないで、誰もが神に愛されている

のだという福音を語り続けた姿勢をほうふつさせます。迷い出た一匹の羊を探し歩く羊飼い、朝から働いた

労働者に対し、夕方から働いた労働者にも同じように生きていくために必要な賃金を渡したいのだと語りかける

ぶどう園の主人、イエスの考えていること、行動していることを―それが福音―表したたとえの数々。

 ところで、イエスもパウロも殺害されていくのですが、なぜなのか。それは、いったいいちになって相手と

向い合いその相手を大切にすることを、好まない人間の在り方が根強く私たちにあるからです。私に言わせれば、

他の人間を「個人として尊ぶ」ことはしたくないということです。いつの時代も現在も、他の人間の尊厳を軽んじる

ことでもたらされる利益の「享受者」が存在しており、この者たちはその利益を「暴力」を使って守ろうとするのです。

日本社会に私の中に見出す現実です。だからイエスのように、パウロのように、ひとりを大切にする生き方をしようと

する者は、この現実社会では、なかなか自分の願うようにはことが進まない「悩み」に苦しみ続けることでしょう、

「十字架につけられしままなるナザレのイエス」に私たちはつながっているのです。

 それでも、と私は呼び掛けたい。私たちの平和作りの基本に、他の人間といったいいちで向かい合い、

相手を大切にするという、「個人を尊ぶ」ことを堅く据えて、それぞれの生活の場面では精一杯応用編に努めようと。

まずは私たちが、自分が大切な個人として、信仰の友から、ゆえにアバ・大いなる恵みと赦しと招きの方から

いつも迎えられているのです。

そうです、あなたは、わたし(たち)にとって大切な個人なのです。

 

               2018年8月3日金曜日  石谷牧師記

深紅面目その13 「2018ペンテコステに思うこと」

2018年5月20日(主日)

教会が生まれたことを記念するペンテコステ(聖霊降臨記念)礼拝説教要旨

     「聖霊は私たちアデルフォイとともにあり」

私たちは、イエスと、彼がアバと呼んだ方―聖書では神とされています―のことを考え

言葉に出すことは多いですが、それに比べて聖霊については考えること、話題にする

ことは少ないのではないでしょうか。そもそも聖霊なるものが存在するのか、

あなたはどう思っていますか。

イエスが存在したことはユダヤとローマの歴史的文献から間違いないのです。しかし

アバ・神、そして聖霊の存在は、私たちが見る・可視、触れる・可触できるようには

認めることができません。私は人間には、感じることでその存在・実在が分かると

いうことがあると思うのですが、アバと聖霊はまさに感じることで分かる実在するものと

思います。たとえばそれはおふくろの味から広がっていく、母の自分への愛の認識ように、

美味しいひと皿の料理の背後に母の愛を感じる。感じることでその実在が分かるもの。

愛だけではなく、善意、情熱、人柄の温かさ、ひたむきさなども同じようではないでしょうか。

 さて、その聖霊。私は自分たちの現在までの歩みを振り返り、私たちがいくつかの

局面を潜り抜けて信仰をなお温め続けていることを思うとき、局面をなんとか抜けていく

ことができるような自分たちに変わることができたなと感じるのです。いな、変わることが

できたのではなく、事態は「変えられてきた」というほうがふさわしいのです。

そしてこの変えられてきた自分たちを思うときに、私は聖霊の存在を、働きを感じるのです。

聖霊の働きとは、私たちに大切なことが保たれ深められるように私たちを変えつつ導く

ということではないか。

 

5月20日ペンテコステ礼拝では、次のようなことを語らせていただきました。

1.私たちが変えられてきたのは、三つのスピリットを保ちこれを深め、自ら生きて喜び、

そして次の方々へ繋いでいくためです。

その三つのスピリットとは

(1)ナザレのイエスの生涯に、イエスが示すアバ・神と訳される方、の人間への恵みと赦しと

招きという愛が込められている。私たちはこの愛を受けて、自分もイエスのように生活して

いきたいとの思いで、一日一生歩み出していこう。

(2)私たちは自分の持っている時間、できることなどを、同時代のとなりびとの平和と

尊厳に用いられるように、次の時代のとなりびとのことも覚えながら、となりびとと分かち合う。

(3)ひとりひとりが「個人」として大切にされ尊重され、その個性、関心、可能性を存分に

その人なりに生きていくことができるように私たちは応援する。

2.自ら変わることができたのではなくて、三つのスピリットに生きることができるように、

ペンテコステの主人公である「聖霊」によって私たちは変えられてきたのではないか。

私の理解をもっと率直に言えば、私たちが現在もなお三つのスピリットを保ち生活して

いることで、ふだんはあまり意識ののぼらせない、聖霊なるものが私たちとともにあることが

分かるということです。

 

 このように考える理由がふたつあります。第一には、使徒行伝2章は聖霊によって

ペテロらイエスの弟子たちが何を語るようになったか、どんな共同体を作るようになった

かが記されています。その内容が、私たちアデルフォイにまさに見られること・大切に

しようとしていることなのです。

聖霊がペテロらの集い・教会を作ったということならば、

アデルフォイもまた聖霊の作った教会だ、と私は考えるのです。

第二には、三つのスピリットを実際に生きていくことは、昔も現在もけっして容易な

ことではありません。

(1)福音書を読むとき、イエスの語っていることはいいなあと感じます。アバ・神の恵みに

眼を開かれて安んじて生きる、そしてアバを信じ自分を愛し自分を愛するように隣人を

愛していく。けれど本当に、各人各様の生が交錯する自分の生活の場で、さらには冨の

あくなき追求ゆえに続く人間尊厳破壊の現実を抱える日本社会、耐えることのない

暴力・武力の応酬の世界の中で、生かされている喜びを誰とでも分かち合うとした

ナザレのイエスを少しでも生きてみようとするならば、また、この生き方を1年、10年、

20年、30年と保ち、深め、次の方へ繋いでいきたいという希望を持つことは、これは

もう私たちだけのちからでできたこと、できることではないと思うのです。むつかしいと

感じる現実の中で、スピリットをなお温め豊かにしていけるように、私たちに必要な

助けなり促しがあって、私たちがめげないように、ますますナザレのイエスを生きたい

との思いを持てるように、私たちが変えられてきた。私はこのように自分たちの歩みを

振り返るのです。

(2)自分のものを分かち合うのではなく、自分は獲得したいのです。人からの善意、

愛情、助言、奉仕、法による保障。自分だけの時間、健康、知識、知恵、お金、友達、

家庭、家族、仕事・・・。自分の持っているものは占有し、せいぜい自分と自分の気に

入る者たち、自分にとって利益になる者たちに分けたい。

『サル化する人間社会(山極寿一)』という本が、分け合うことをしなくなることへの

警告をしていますが、教会の昼食のように食べものを持ち寄って分け合ってみなで

食べることに象徴されるような「分け合う」生き方を私たちが続ける・貫く、少なくとも

姿勢はこちらに向け続ける、ことをこれからもできるとしたら、私たちの中にそうする

ことを喜ぶ気持ちが絶えないからでしょう。この喜びを聖霊が備えてくれる、

と私は自分たちの歩みを振り返るのです。

(3)現状、しばしば、個人ではなく、女よりも男、子どもよりも大人、妻よりも夫、

部下よりも上司、地域・学校・集団・組織・全体の利益や論理、いったん決めたこと

などが優先されてしまうことがあるのではないでしょうか。

怖いのは国家―時の権力・為政者の思想信条価値観が法制化されてーが私たちの

個人の人権の領域に入ってくることです。このさまざまレベルで、自分が当事者に

なって、自分の「個人であること」、となり人の「個人であること」を侵すことをしては

ならない尊厳として尊重し守る、これを相当に意識しておかないと、

とんでもない自分、社会となります、足元をすくわれます。

 

 この三つのスピリットを携え歩む、あなたと私、そしてアデルフォイは私たちだけで

作ることができたものではないと私は思うのです。それゆえに私は言います、

私たちともに聖霊在り、聖霊のささえはこれからも続く、感謝。

 

深紅面目その12 「小さくされた人へのよろこび」

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 菜の花の咲くころになりました。この文章を読んでくださるあなたはいかがお過ごしでしょうか。

世界に日本社会に年明けからいろいろなことが起こっていますが、それだけに愛するこころを失わないで生活を

続けていきたいという願いを持ちます。どうぞお元気に春から初夏の季節をお過ごしください。

 

 同じものを見ていても、見る人間の立ち位置によって、見えてくるものは違ってきます。

たとえば私は原爆ドームを地上に立って見上げることが多いです。四季折々の、時刻によって変化していく空を

背景にしてドームは、風雪に耐えながらいばらのかんむりをかぶっている人のようにして、平和を作っていこうという

促しを私に語りかけてきます。

 ところが昨年二回ほど、原爆ドームに近いところにある、折りづるタワービルの最上階展望所から

ドームを見ましたが、そこからは原爆によって破壊されたドームの全体像が想像され、また散乱している基礎石や

レンガを見おろし眺めることで原爆の破壊力を感じたことでしたが、平和作りを語りかけてくるようなドームでは

ありませんでした。

 

 ナザレ人イエスの生涯とそれゆえの帰結であった十字架刑による結末というひとつのことが、イエスと交流した

そのころ一人前の人間とは扱われていなかった者に与えた影響は、それなりにユダヤ教徒として暮していた、

ペテロははじめとするイエスの弟子、イエスの弟ヤコブ、さらにはパウロらが受けた影響とは違うように思われます。

一人前ではなかった者はイエスから語りかけられ、皆から汚れているとされた手を握ってもらい、一緒にパンを食べ

杯を交わし気持ちよく酔い笑い興じ語らうなかで、じんわりとこのイエスの前では自分は存在しても良いのだという

自己肯定の喜びを受けたことでしょう。

そして存在そのものへの肯定を必要としている人間はいつの時代にもおり、現在もそうでしょう。

 

 私自身は自分のいたらなさを痛感しイエスからの、倫理的に道徳的に欠けばかりの自分への赦しの声を聞いて

いますが、このごろは、あなたはあなたの弱さを抱えたままで一個の人間として、生きる現場を持つ社会的な人間

として、生きていきなさいとの声が発せられているのだ、と知るようになってきました。この声は私だけに向けられて

いるのではなく、すべての人に語りかけられていると分かってきました。

 

 イースター礼拝説教では、私は、教会のなかまに向かい、ひとりひとりの歩みにふさわしく備えられている救いの

恵みに支えられて、私たちは同時代の隣人、これから生まれてくる隣人たちを愛する者に

―愛することは自分の時間・たまもの・持っているものを分かち合うこと―なろうと語りました。

 

 私たちはイエスのことばとふるまい、十字架と復活について心の内にしめされてきましたが、そのしめされた

なかみは、各人違っていることだろうと思います。なぜならば、私たちひとりひとりのイエスと出会う立ち位置が

違っているからです。

私たちにはそれぞれに生きている場、状況、必要としていることがこれまでにありましたし、これからもそれぞれ

にあることでしょう。そこにイエスがことばとしてふるまいとして、私の思い及ぶことのできない関わりをされること

でしょう。各人それぞれの歩みに貴重なイエスとの出会いの喜びと、生きるために与えられる励ましがあるのだ

と思います。

 

 そんな私たちが同じイエスによって、イエスの弟子の道を歩むことに招かれています。

それが隣人を愛する者になること、具体的には自分とじぶんのもつものを分かち合うことではないかと私はしめされて

います。

 

                2018年4月14日   石谷牧師記

 

 

 

 

2018年あけましておめでとうございます

 このホームページを読んでくださる読者のみなさま、

「あけましておめでとうございます」、

ことしもホームページを通しての交流をよろしくお願いいたします。

 

 2017年、私は自分の体験することを写真撮影しました。その時のことを振り返り、

私はみなさまにお世話になり本当に佳き時を過ごさせていただいていると感謝するばかりです。

写真をふたつほど紹介させてください。

  DSC03932

      1月大雪の中 私たちの教会礼拝堂アデルフォイ

この礼拝堂をアデルフォイ(意味はギリシャ語で仲間たち、こころざしを同じくする者たち、

兄弟姉妹)と呼んでいます。

私たちが親しく交流させていただいたこの家の持ち主が寄贈してくださいました。

人たちが集い合い、大切なことに出会っていく場となっています。

 

 二枚目は5月の連休に友人と登った二ヶ城山(広島市東区)にてです。

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昨年の私の実感は、こころとからだの調子を整えるということはなかなかむつかしいということ。

私は現在62歳、これまで培ってきた生活習慣(病)を修正することを試みるなかで、

ついつい食べ過ぎたり飲み過ぎたり甘いものに手が伸びたりする自分に「にがわらい」です。

それで毎日貝原益軒の『養生訓』松田道雄訳中公文庫を読んで動機つけにしています。

こんな私ですが、5月の連休には自宅近くの山、11月3日(祝日)には宮島弥山(みせん)に

登ることにしています。友人たちと自力で登山できるさいわいを感じながら。

 

         2018年1月3日   石谷牧師記

 

 

 

 

 

 

深紅面目その11 「ありがとう、父と母と人たちよ」

 私たちの教会では、先に地上の歩みを終えられたみなさんの写真を常時礼拝堂一室に置いて、

いつでも顔を合わせることができるようにしています。そして私はしばしば写真のみなさんの間に座ります。

お一人お一人を思いこころに浮かぶことは尽きません。

 

 このごろの思いです。

写真には90歳を越えて永眠された方、事故、病気でまだまだ若くして永眠された方がいます。

その生涯時間という器のなかにその方のどういう歩みとあこがれが入っていたかを思うとき、写真の

お一人お一人が生きていた、存在していたということそのものがそれだけで尊いのです。

その方から私が受けていることがらに気付く時に、長命か短命かではない、年齢などが一番目ではない、

その方の私に対する重さに心は感謝と喜びに導かれていくのです。この方もあの方も

私に影響を与え続けていることに気付かされるのです、彼も彼女も私の中で生きているのです。

 

 写真の中に父と母がいます。

私が他の人間との関係を作っていくことに一番深く影響を与えてくれたのは、私が二十歳代の時に

永眠した父、50歳代の時に永眠した母だと感じています。仲の良かった両親に育てられたことによって

私の幼ごころに他の人間に対する開かれた心、信頼する心が自然に形成されていったのだと思います。

これが私の少年期、青年期、そして現在までのそれぞれの時期、人たちとの出会いと交流に結びついて

いったのだと思います。

 そして加えて感じること。それは父と母の日常に垣間見られた親戚縁者、友人らとの交流の様子です。

まだ子どもであった私だから実際はそんなものではなかったのかもしれませんが、少なくとも私には父と母は

人たちと親しい関係を持っており、憎しみあったりさげすみあったりしている人はいなかったように感じます。

(子どもの私にはあえて見せなかったということでも良いです。)このことは私の育った家庭に穏やかさをもたらして

くれたことだろうと思います。

 親戚縁者とよぶ方々の中でもとりわけ私にとって母方の祖母の存在は大きい。この方の葬儀はその名前の

ように、美しいアキ(秋)の空が天に広がった日、広々とした母の実家の庭で行われました。穏やかな祖母が

そのままいるかのような、集まった者たちから笑顔がこぼれおちてくる温かいものでした。

この方からの私たちの家族に寄せられたの親しい愛情を、彼女がお彼岸には必ず作る「おはぎ」のなつかしさとともに

私は忘れることができません。

 こうしたことを思うようになって、私は父と母からだけ、他の人間に接していける心を育ててもらったのではなくて、

父と母が関わりを持っていた人々からも、人間に開かれていく心と信頼する心を作っていただいたのだと気付きます。

 

 父と母とのことを根っこにおいて、その後に出会った方たちから影響を受け育てていただき、そして私のオリジナル、

私にしかないものが生まれて加わって、今の私が書く文章、語る内容と言葉、他の人間への接し方、時間の過ごし方に

なってきたのでしょう。先に地上の歩みを終えられたみなさんの写真の中に座り感謝に満たされます。

ありがとうみなさん、みなさんありがとう。

 

 祈りに導かれます。

私は父と母と多くのみなさんとの出会いと交流からなんと豊かなさいわいを与えていただいたことだろう。

願くはこの私もまた、誰かの生きることに用いられたらどんなに良いだろう、と。

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          母と父とわたし(礼拝堂アデルフォイにて)

 

 

         2017年11月23日   石谷牧師記

深紅面目その10 「無言(館)」の問い

 広島県呉市立美術館にて、長野県にある無言館所蔵作品を中心とした絵画展が

11月19日(日)まで行われています。なかなか訪ねることのできない地にある無言館、

私は1945年敗戦の戦争遂行者によって絵の制作に取り組む日々を奪われ、戦地に

召集され、命を奪われた青年芸術家たちの存在を心に刻もうと思い絵の前に立ちました。

 

 深く心に残る一枚の絵がありました。

描いたのは広島県竹原市に生まれた手島守之輔、作品は妹を描いた「少女像」。

明るい赤いワンピース姿の女性が伏し目がちに部屋の中で絨毯の上に座っています、美しい姿です。

私が勤務した女性学院に在学中か卒業したころの清楚である美しい少女。

しかしどこか変なのです。少女の美しさに比べて、周囲の様子が寒々として殺風景というよりは

人間の暮している生活感がないなのです。

手島が愛情を込めて描いたであろう妹は、暖かい陽だまりに花たちと共に座わるがふさわしい、なのになぜだろう。

手島は東京での制作活動を断念して実家に疎開中、その最中1945年に描いた「少女像」。

彼は8月に入りすぐに召集され、広島に集められ6日に被爆、近郊の大野陸軍病院で死亡しています。

 

 手島は戦争をどう見ていたのだろうか。

 手島をはじめとする戦没画学生のひとりひとりがあの時にどのような気持ちでキャンバスに向かったのか。

 戦争は一握りの人間たちの無謀な暴力選択で始まる、しかしひとたび開始されると破局を迎えるまで

その者たちも止められなくなる。その間にひとりひとりの人間がそのもつすべてとともに巻き込まれ、

ある者は死にある者は自分の夢と自分の生きる道を奪われる。

 

 最善最良の恵みとして幸せとして得ているいまの戦後が、戦前前夜となっていかないように、私にできることは何か。

絵が問うのです。

 

 問われて続けていこう、この問いから逃げないで精一杯応え続けて生きる、こう念じるしかない私です。

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        2017年10月27日   石谷牧師記

深紅面目その9 「ひそやかな声が聞こえる」

  私たちの礼拝堂の一室をメモリアルホールと呼んで、先に地上の歩みを終えられた方たちの

写真を置いています。今日10月22日(主日礼拝)の午後、私はひとりこの部屋にて黙想していました。

ガラス窓の向こうでは超大型台風21号の風を受けて竹林が音をたてて大きく揺れています。

 写真の方たちのほとんどは私が親しく交流させていただいた方、私の父と母もいます。私の存じ上げない方は

教会の仲間の親ごさんです。その方たちのお顔を見つめ思うこと、それはみなさんが私に対して、

また教会の友に対して、本当に善意(他の人間のことを思う心)の方であったということです。

私はお一人お一人から受けたことを新たにしていました、その時にひそやかな声が聞こえてきました。

「人間に善意のあることを信じてください。」

「教会は人間が善意をそなえていることを語り続けてください。」

黙想を続ける私は、この声が暴力、武力、ちからで紛争や争いごとを解決しようとする姿勢を批難しており、

非暴力と対話によって和解と平和を作っていくようにと諭している、と聞いたのです。

 おりしも今日は安倍政権を継続させるか退場させるかを決める衆議院選挙。

築き上げられようとしていた野党間協力は残念にも壊されてしまいましたが、どのような結果になろうとも、

個人と個人の間、国家と国家の間の争いに対して、相手に善意のあることを信じて、非暴力で

粘り強く争いの火種を消していくことに努める政治家を支持していく姿勢を持ち続けていきたいと思います。

 

                 2017年10月22日   石谷牧師記

 

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